我が父

きむらてつ


父、逝く

2010年2月17日夜、親父が静かに永眠した。
心筋梗塞、86歳だった。
大戦中二度の撃沈に遭い、交通事故で肝臓の大半を失い、肝炎や脳梗塞などなにかと病院の世話になることが多かった父だが、
老いて最後の瞬間まで、精神は冴えわたっていた。

1999年の自分の誕生日に書かれた正式な遺言状が出てきた。
遺された母のこと、遺産相続のこと、自分の葬儀や埋葬のことが丁寧に具体的に書かれていた。
「死亡通知先」と書かれた住所録も出てきた。
親戚、知人・友人、小中学校・商船学校の同窓会事務局、銀行、市役所や社会保険庁年金窓口に至るまで漏れなくリストアップされている。
遺影にはこれを使え、という11年前のまだ耄碌していない頃の笑顔の写真まで手配してある。
この用意周到さ、なんという人だ。

遺言によると、葬儀は不要、親しい人が集ってのお別れ会くらいでいい、とある。
家族で話し合って、親父が好きだったベートーヴェンのピアノソナタを聞きながら、アルバムを投影しようということになった。
あわただしい中、ムスメ達が親父の遺品のカセットテープの画像を撮影し、実家にある古いアルバムを取ってきてくれた。

身近にいる家族というのは、なかなか見えないものだ。
特に自分の親となると、身近すぎて、あたりまえすぎて、どんな「人」なのか案外わかっていない。
アルバムを見ているうちに、父親としてではなく、今まで気づかなかった1人の人間としての親父がはじめて見えてきた。
これは新鮮な発見であり、あまりに遅すぎる発見でもあった。

膨大な量の写真の山のなかから59枚を選んだ。
出征直前の悲痛な表情の家族との別れ、甲種一等航海士として艦橋に立つ青年時代、私や弟が小さい頃、仕事で海外を飛び回っていた頃、
ゴルフでシングルだった頃の自慢のフォーム、棋院五段の実力を見せた負け知らずの囲碁、孫と一緒のひととき、晩年に故郷を訪れた時の写真など。
そして最後の1枚(右下)は、親父自身が用意しておいてくれた遺影用のスナップ。



梨や林檎の花咲く時期を狙って、立つのがやっとの親父を連れて、もうこれが最後だろう、と思われる故郷帰りをしたことがある。
叔母が出版した歌集に、その時の様子を詠んだ歌をみつけたので、これも画像に加えた。
故郷へ遠住む義弟梨の花恋いて来りしいくとせ振りに

今一度梨花見んと病む身もて棚下に立つ杖をたよりに

父の死後に発見された語録でみつけた、その時の様子を詠んだ父の歌と句。

(ち)の故郷(さと)の野山の風情愛づる子の優しきこころ旅は楽しき

古里や 竹馬の友と 御弊餅

親父が愛聴していた音楽。
海軍時代、艦の通信室で聴いていたというベートーヴェンのピアノソナタ第8番ハ短調「悲愴」や第14番ハ短調「月光」ははずせない。
J.S.バッハのカンタータ第140番、147番のあの有名な旋律も入れておかねば。
ブラームスは「16のワルツ」から穏やかで優しい2曲を選んだ。
この時のために用意しておいたようなフォーレの「レクイエム」からは"アニュス・デイ"。
最後は迷うことなくベートーヴェン交響曲第6番ヘ長調「田園」から第2楽章と終楽章。


スキャンした写真データはムスメの旦那殿に送ってDVDに編集してもらう。
音楽の方は私のMacBookのProToolsで編集してCDに焼く。
CD1枚の編集に二昼夜もかかってしまったが、DVDの方も二晩徹夜したそうだ。
こうして過ごす時間がなんともいとおしい。

シナリオなど何もなかったお別れ会だが、皆のアイデアと行動力のおかげで次第に形になってゆく。
ごく少人数のつもりだったお別れ会、いつのまにか遠方からの親戚も加わってなつかしく優しい思い出に満ちた時間になった。
死して遺したこの時間に、親父の人柄のすべてが宿ったのだろう。
私は、このような父を持ったことを誇らしく思う。

遺言書の最後はこのような一文でしめくくられていた。

「多くの方々に迷惑をおかけしましたが、ささやかな私の一生に素晴らしい幸せを下さった皆様に心からありがとうございましたと申し上げ、御別れ致します。さようなら」
父の死後に発見された手記に詠まれた辞世、

散るときの花は汚く見ゆれども匂う薫りはながく香ぐはし

旅を終え 二度寝の如く 永眠りけり

遺志にしたがって太平洋に面した海域に散骨した。



最後に、諸般の事情で動きがとれない私に代わってほとんどすべてを仕切ってくれた弟とその家族に感謝。


父が遺した手記から

青春の日々1 (洗礼)
青春の日々2 (日課)
青春の日々3 (日常規範)
生死のあいだ (二度の沈没の記録)
来島海峡 (青春の日の潮騒)
謎の・・・G線上のアリア

お茶のこと (1992.3)

折々の歌句 (1984〜1997)
折々の歌句 (1998〜2001)
折々の歌句 (2002〜2010)
好んだ言葉、遺した言葉


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