G線上のアリア

木村 功


「守るも攻めるもくろがねの」、軍歌一色となって米英を敵にまわした日本では、ジャズ、シャンソンは勿論、あちらの音楽はみな御法度。ただ一つ同盟国独逸の音楽だけは大目に見て貰えた時代。ベートーヴェンをこっそり聞けるのがせめてものなぐさめであった。戦(いくさ)に負けてリベラルに一転し、開放された若者達は欧米の文化に今更のように目を見張る。そんな時、私はあこがれのクラシック音楽に魅せられていった。

航海士官として乗り込んだ船のサロンのラヂオからベートーヴェンの「月光」が流れている。甲板作業から昼食の為一足遅れて入って来た私は、船長以下に一礼し「あれっ、月光ですね」と一言いって食事を始めたが、あとで同僚士官から「途中から聞いていきなり月光ですねは凄いですね」と感心され、ちょっと照れたものである。今では誰でも知っている位の名曲だけれど・・・。

ピアノが弾けたらいいな。自宅待機となって田舎に帰った私は、夕方小学校の音楽教室をのぞく。しかしピアノはいつも誰かに先を越されてポロンポロンと鳴っている。そうだ、ヴァイオリンなら何とか手に入れられるだろう。そこで、デパートの楽器売り場で一番安いのをためらい乍ら買ってくる。当時、三千円位と云っても今のお金でいくら位か判らないが、就職間もない安月給では清水の舞台から、であった。教則本やら易しい楽譜など揃えて練習をはじめる。どうやら弾けるが、安物のヴァイオリンの音色はいかにもお粗末であった。

ところで、その時覚えた音符に、あとになって不思議なことが起るのである。「G線上のアリア」は聞いたことのある曲の名、練習用の譜面も短くて易しそう。毎日練習して五、六枚の譜面がどうやら暗譜でも弾けるようになった。結婚してしばらくしてそのヴァイオリンはどこやらに捨てられてあったが、あの時覚えた「G線上のアリア」のメロディーはいつまでも忘れないつもりであった。

その後、クラシック音楽が益々楽しくなり、特にバロック音楽にめり込んでゆくのであるが、或る時、買ってきたレコードのバッハの管弦楽組曲の中に「G線上のアリア」があるではないか。懐かしさいっぱいで早速聴いてみる。だがしかし、大バッハのそれは、私のそれとは全く違うものであった。素晴らしい曲には違いないが、どうしても私のそれとは違うのである。

私のそれは、たしかグリーグ作曲の筈だが、そうかグリーグにもバッハにも同名の曲があったのだ、と思い込むことにしたが、次に現れたのがチャイコフスキーである。後になって上の子(注:私のこと)が「メンコンチャイコンドボ八」と揶揄したが、クラシックの入門者は先づメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、チャイコフスキーのピアノ協奏曲、ドヴォルザークの第八と云う訳で、私もチャイコフスキーに惚れこんだ。

そのチャイコフスキーの弦楽四重奏曲第1番を聞いて驚いた。第二楽章のメロディーが何と私の「それ」なのである。頭の中がこんがらがって訳が判らなくなった。「グリーグ作曲、G線上のアリア」は何といつの間にかチャイコフスキー作曲、弦楽四重奏曲第1番のアンダンテ・カンタービレに変ってしまったのである。

私は今でも、私の口ずさむそのメロディーは「グリーグ作のG線上のアリア」だと思っている。



HomePageに戻る