お茶のこと

木村 功


幼ない頃、私の育った信州の田舎では、屋敷をとりまく広い畑の廻りに青垣の代りに茶の木が沢山植えてあった。気候風土のせいもあって信州の大人たちはよくお茶を飲むのである。八十八夜も過ぎて山里に遅い夏が近づく頃茶摘みが始まる。摘んだ茶はせいろで蒸し、納屋から持ち出した渋紙張りの大きなほうろの上であぶり乍ら丁寧に揉み出して自分用のお茶を作ったものである。年に一度の一家総出の大仕事であった。庭いっぱいに漂よう香ばしい新茶の薫りは子供心にも楽しいよろこびであった。出来上った一年分のお茶は幾つもの大きな茶箱に納められ、日当たりのよい縁側でそんな新茶を楽しむ祖母や母達の満足気な顔を今も懐しく思い出すのである。

お茶や漬物の味が判るようになると大人だとよく云われるが、私は五十を過ぎてから始めてお茶がおいしいと思うようになった。私はお茶のことにはうとく、何々茶と云う種類すら区別出来ないのですが、でも、今はお茶は好きになりました。お茶の文化はクラシック音楽のように渋くて奥の深い、所謂おとなの高級な文化だと思う。お茶が高級な文化の所以は、その味わいがいかにも優雅でひとくちにおいしいと云っても甘いわけではなく、渋味、苦味、わづかな甘味、それに豊かな薫りが素晴らしく、それ等とミックスした微妙なのど越しが人を酔わせる。色目も美しいし、たぎる湯の音、注ぐ音も楽しい。適当な湯加減も大切。茶は人の五感をくすぐる素晴らしい大人の文化だ。

お茶に凝ると所謂お点前となり、茶器・道具から作法など仲々のものらしいが、これは音楽に凝った評論家が素人には判りにくい専門知識を披露して古典を論ずるようなもの。私は庶民的な普通のお茶が好き。元来のおいしさを軽く楽しむ雰囲気がいい。年をとって舌が少し鈍くなったので、濃い目のお茶漬けを沢庵かこんぶの佃煮でサラサラッとかき込む味はまた格別である。

六十二才の時、交通事故に遭い内臓破裂の大怪我をして三分の一の肝臓が切除された。手術の際の輸血が因で悪性の肝炎に罹り味覚と嗅覚のひどい障害に悩まされた。その障害は仲々しつこくて治るのに長い時間がかかったが、何度目かの入院の或る日、毎日のように見舞いに来てくれた家内が一杯の紅茶を入れてくれた。紫色のパックに入ったトワイニングの高級な茶であった。彼女の暖かい心づくしに感謝の気持もあって、その一杯のおいしかったこと。沈んだ病いの心を吹き払うようなさわやかさ、かすかに甦って来た味覚や嗅覚のよろこびと重なって如何にも有難く、それは生涯忘れることにない想出の味となった。

私は若い頃から朝はパン、ハムか何かの一皿と、紅茶二杯がお決まり。長年、極めて簡単な入れ方で紅茶を頂いて来た。はじめは緑茶での先入感で、熱湯で入れては茶が焼けてしまうのではないかと思い、わざわざ少しさましてから入れたりしていたが、どうも苦味・渋味が気になる。時間を短か目にしたり、量を少くするが味が無い。要領がつかめぬまゝ結局お砂糖でごまかしたりして頂いていた。

或る時、上の子が紅茶は熱湯で入れるものだよ、と云う。私はおやぢの意地でちょっとむきになったが、素直に熱湯で入れることにしたら、味頃のおいしいお茶が頂けるようになった。日本茶にも焙じ方によって熱い湯で入れる方が良いお茶のある事も知った。以来入れ方の基本が決まり、専用のポットを二千五百円も出して買って来る。ポットも茶わんも予め温め、茶種に合わせて十分な時間をかけて入れるようになり、朝の紅茶が一層待ち遠しいようになった。やっと本来の紅茶に辿りついたようである。

そもそも、紅茶は中国人が生んだ素晴らしい傑作である。やがて英国に渡り、今日では英国が本流になったが、味の根源は矢張り中国にもの。特にアッサム、ダージリンの味と薫りは素朴で漢方的で神秘的である。此の素晴らしい風味を英国人はミルクでかえて了(しま)うがミルクティーはいかにも西洋的な茶の文化ではないか。東洋人の私としては矢張り紅茶はストレート。時にはレモンもいいが午後の紅茶にブランディーは如何。ちょっぴりお砂糖を加えて乙な気分になれます。

 久々の紅茶の朝餉かをり立ちサラダさわやか麺麭(パン)も香ばし (2008.5 五月の朝)



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