私のアンプ設計マニュアル / 自作オーディオ心得
オーディオ回路に思うこと
<動作条件を吟味する>
真空管アンプの自作では、真空管メーカーが発表した標準的な動作条件どおりに設計し製作するのが当たり前な時代がありました。そのようなデータしか手に入らなかったからです。しかしインターネットが普及すると、さまざまな真空管の特性データが容易に手に入るようになり、特にロードラインを引くためのEp-Ip特性の入手のしやすさはアンプ・ビルダーの世界を一変させました。

Frank's Electron tube Pages

「私のアンプ設計&製作マニュアル」の真空管オーディオ回路の基礎・応用編では、ロードラインの引き方からはじまって1本の真空管の動作条件をどう考えたらいいかについて詳しく解説することで、もっと自由に考えてアンプ作りが楽しめるようにガイドしてきたつもりです。標準的な動作条件で使う限り、その真空管はブラックボックスの域を出ることができませんが、一から自分で動作条件を考え吟味することで、回路そのものが意味を持ち生き生きしてきます。そして、従来の枠組みを超えた魅力あるアンプになってゆく可能性が生まれます。

半導体データも同様で、1980年くらいまではCQ出版から出ているトランジスタ規格表がせいぜいで、それ以上のデバイス情報が欲しかったらメーカーごとに出している分厚いデータ・ブックを買わなければなりませんでした。今や世界中の半導体のデータが手に入ようになり、秋月などの通販サイトもデバイス・データ付きで販売する時代になりました。

DatasheetCatalog.com

「私のアンプ設計&製作マニュアル」のトランジスタ技術編では、トランジスタ1本の基本的性質や基本回路の振る舞いについて多くのページを割いています。それは、便利で先進的な回路技術に流れてしまう前に、トランジスタそのものの性質についてよく理解し、1本1本のトランジスタに与える動作条件についても吟味して設計してほしいからです。耐圧や雑音性能だけでなく、内部容量や飽和特性の癖を知ることで設計の考え方も違ってきます。

トランジスタ1本によるエミッタ・コモン1段反転増幅回路を設計する場合、コレクタ電流は0.1mAでも1mAでも10mAでも同等の利得を得ることができます。いろいろ考えてコレクタ電流を1mAに決めたとします。その時に、回路をとりまく環境への影響も考えながら、0.7mAではどうなるだろうか、1.4mAではどうなるだろうかと考え検証してみると新たな気づきが得られます。オーディオ信号が入力された時のコレクタ電流の動的な変化を考えつつ、とりうる最大値や最小値におけるトランジスタの諸特性まで思いを巡らしてみると、さらに気づきがあるはずです。

しかし、多くの自作アンプ・ビルダーはトランジスタ1本によるありふれたエミッタ・コモン1段反転増幅回路などは相手にしないで、いきなり差動回路とカスコード回路の組み合わせからスタートしたり、最初から定電流負荷がついていたり、あちこちにエミッタ・フォロワなどのバッファ回路を組み込む前提で設計が始まります。動作の状態を頭で思いめぐらすかわりに、いきなりPSPICEなどの回路シミュレータに回路をインプットして得られた結果だけで判断しようとします。回路シミュレータは、思考のプロセスとすっ飛ばしてローコストに結果を出す道具ですから、人から思考プロセス奪っていることに気づいてください。


<増殖する回路素子>

半導体アンプは、1990年くらいから構成する半導体素子数が増加傾向にあり、今や1つの片チャネルのアンプで半導体を10個〜20個ほども盛るのが当たり前のようになってきました。何故半導体の数が増えたのか、そこにはいろいろな理由が絡み合っていると思います。増幅部分の負荷を軽くしたいということでフォロワ回路やSEPP回路を追加する、帯域特性を広げるためにカスコード回路にする、利得を極大化するために定電流負荷を構成する、それを維持するためにカレントミラーが追加される、対称回路に魅力を感じると半導体数は一気に2倍に膨れる・・・等々。

私はこの現象に対して強い疑問と違和感を持っています。まず言えるのは、そのような回路は見ていて美しくないということです。次に気づくのは、半導体の数を増やす前にやるべきことがまだあるのに、それが考慮された形跡があまり見当たらないことです。美しい回路とは、トランジスタ1本1本の存在や動作条件にも吟味がなされ、抵抗器1本1本についてもその存在や値に配慮がゆきわたっているものを指します。そういう意味では、単なる「シンプル・イズ・ザ・ベスト」ではありません。冗長さを排除したシンプルかつ音が良い回路はひとつの部品、回路定数の与え方を見ても葛藤した形跡があり、設計者の考え方が見えてきます。

オーディオ雑誌を賑わしている製作記事を見る限り、どれも大量の半導体を盛った回路が目立ちます。もしかして、自作アンプ・ビルダーの多くは基本的な2段増幅回路などは初心者が勉強のための教材にすぎなくて、そんな簡素な回路ではとてもハイ・グレードな音など出るわけがないと思っているのかもしれません。もっと安直に、部品点数が少ないのが初球アンプで、高級アンプほど部品点数が多い(そんなことを著書に書いていらっしゃる著名アンプ・ビルダーもいました)という考えもあるようです。それはとんでもない間違いです。

メーカー製のオーディオ製品の回路が複雑化し、回路を構成する半導体の数が激増した原因に製造コスト問題があります。その好例がOPアンプです。集積回路化の最大のメリットはコストダウンです。低コストで回路の集積化を実現しようとした時の最大の壁は高コストのコンデンサの存在です。そのため、廉価に作れる半導体はいくら投入してもいいから何が何でもコンデンサだけは排除せよ、という考え方が生まれました。自作アンプ・ビルダーはメーカーの真似をする必要はありません。


<回路設計における二律相反問題>

電子回路には、絶対的な正解がありません。常に、あちらを立てればこちらが立たずな状況が存在します。

半導体による2段増幅回路を無理させることなく最適化して設計するのはとても難しいです。たとえば、初段で高い利得を得ようとすると2段目の入力インピーダンスを高く設定しなければなりませんが、そのためには2段目のコレクタ電流を減らさなければなりません。そうすると出力インピーダンスは高くなり、負荷に対して十分な信号電流を取り出せなくなります。十分な出力電流を得るためには初段の利得が犠牲になります。

このような回路設計上の制約を解消するためにさまざまな付帯的な回路技術が考えられてきました。冒頭に挙げたフォロワ回路やSEPP回路、カスコード回路、定電流負荷、カレントミラー、DCサーボなどはその代表と言えます。元になる回路にこれらを追加してゆくことで、回路設計作業はある意味においてどんどん楽になってゆきます。同時に、動作条件をあまり吟味しなくても性能が出せるようになります。

私は、こういう回路を見ると安易な方向に流れているなと思います。3つの課題を解決するために3つの付帯回路が追加されてゆきます。

帯域を広げたかったらカスコード回路を引っ張り出す前に基本回路での帯域特性の改善工夫をしてください。高利得が欲しかったら定電流負荷やバッファ回路を持ち出すまえに基本回路で最大利得を得る模索をしてください。DC安定を得たかったら安易にサーボを組み込む前に基本回路に安定要素を持たせることに頭を使ってください。1つの部品、1つの回路に2つ以上の機能を持たせる工夫をしてください。そうすれば、回路は冗長さがなくなってどんどん美しくなってゆきます。


<実践>

下図はPHONOイコライザ・アンプですが、今どきありえないくらい簡素であり回路方式としての斬新さはありません。ごく普通の2段差動回路だけの構成で、利得を稼ぐためのバッファもなければ、出口にはSEPP回路の手当てすらありません。それでも、RIAA偏差は20Hz〜20kHzまで±0.2d以内の高精度を得ており、最低歪率は0.007%を得ています。ほとんど素のままのトランジスタ2段増幅回路でもこれだけのスペックが得られています。そして、音も静粛さも申し分ないです。

もうひとつご紹介しておきましょう。これはトランジスタ式ミニワッターPart5 19V版です。小出力とはいうもののこれもパワーアンプとしては常軌を逸したデバイスの少なさで構成されています。こちらも回路方式としての先進性はありませんから、そのような回路を求める方からは見向きもされません。しかし、出てくる音は他の半導体アンプとは一線を画します。こんな2Wしか出ないアンプが、製作された多くの方のメイン・システムを置き換えました。

ある時、「初段の2.7kΩを定電流回路にしないのですか?」という問い合わせがありました。私の返信は「抵抗1本にすることで電源電圧の変動に強くなり、かつDCドリフトの安定が高くなっているのに、定電流回路に変えたらそれらが失われることに気づかれましたか?」でした。「出力段に2SA1015と2SC1815あたりを追加してダーリントンにしないんですか?」という問い合わせには「それをやったら簡単に発振しますよ」と返信したのを覚えています。皆さん、半導体を増やしたがる病に冒されているようです。極めつきは電源のリレーを使った遅延回路ですね。普通ならトランジスタを使うところをリレーと抵抗1本、コンデンサ1個で必要な機能を実現しています。

こんなアンプに囲まれて音楽を楽しんでいると、回路の複雑化や先進性はどれほどの意味を持つのだろうか、と考えてしまいます。

私が設計したオーディオ回路は、そのほとんど非常に少ないデバイスで構成されています。回路を練っているうちに自然にそうなって行ったとも言えますが、半導体がうじゃうじゃいる回路が大嫌いであることも否定するつもりはありません。どなたかのブログに「執念すら感じる」(笑)と書かれていましたが、きっとそれもあると思います。


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