<可能な限り簡素化してみた>

FET式差動ヘッドホンアンプ Simple Version
Super Simple FET Differential Headphone Amplifier


基板パターンの不備がありましたので修正しました。実際の画像における2SK170の向きが逆でしたので(それでも正常に動作します)基板側を修正しました。JFETはD〜S間で高い対称性があるため、すでに取り付けた2SK170はそのままで大丈夫です。(2015.12.21)

ものづくりでは、より複雑なものにしてゆくことと、より簡素なものにすることとではどっちが面白いでしょうか。私は後者の方が工夫が必要でより面白いと思っています。電子回路は、部品点数を増やすことでどんどん高機能になり、性能も出しやすくなります。部品点数を減らしてゆくと、さまざまな制約が生じて性能が低下してきます。当サイトでおなじみのFET差動ヘッドホンアンプは、よく「究極までシンプル化している」と言われますが、実はすでに物理特性をある程度犠牲にした設計になっています。本機のようにさらに部品点数を減らしてゆくと確実に物理特性は劣化してゆくはずなんですが・・・

本稿の実験の動機は好奇心からスタートしました。以下に詳しく説明しますが、かなり思い切った切捨てや割り切りをしました。さて、結果やいかに。

基本となったフルバージョン(Version3)はこちら。


■シンプル版試作機全回路

大幅なシンプル化構想のもとに最初に製作した回路はこちらです。もうこれ以上は1個もはずせないところまで部品を減らしています。しかし、この回路は最終版ではありません。実験の上で改良していますので最後までお読みください。


■初段差動回路と抵抗1本の定電流回路

2SK170を使った初段差動回路は基本的なところで原回路(Version1,2)からの変更はありません。

定電流回路はバッサリとカットし、抵抗1本に置き換えています。これで2SC1815が4本いらなくなり、劇的に簡素化できました。こんなことをしてもアンプとしてちゃんと動作してしまうのは、ひとえに2SK170のgmの高さ(20mSくらいある)によります。抵抗1本にしたことで定電流特性は低下し、2SK170は理想的な差動的な振る舞いをしなくなるわけですが、それでも100点満点で70点くらいの差動的動作をしてくれます。

当初の設計では、マイナス電源はシリコンダイオードを3本直列にした-2.2Vとし、共通ソース側の抵抗器は560Ωとしていました。流石に電圧が低すぎて差動動作に不満が生じたので、シリコンダイオード4本に増やした-2.9Vとし、抵抗値は750Ωに変更して若干の改善を図っています。この違いはページの最後のところにある歪率特性および最大出力の違いに現れています。もちろん、フルバージョン(Version3)のように2SC1815を2本ずつ投入して定電流回路を組めばこうした問題は解消します。


■出力段SEPP回路

出力段は、ダイヤモンドバッファをやめてOTL回路の原点ともいえる1段SEPP回路としました。回路設計上はかなり悩ましいところであり、シンプル化のしわ寄せがここに集中します。

ほとんどのヘッドホンのインピーダンス値は、16Ω〜100Ωくらいの範囲のどこかになります。16ΩとしてSEPP回路の入力インピーダンスを計算してみましょう。エミッタ抵抗は10Ωとし、A級動作ではその1/2の5Ωで計算します。hFE=200のバイポーラトランジスタを使った場合は以下のようになります。

16Ωの場合・・・{16Ω+(10Ω÷2)}×200=4.2kΩ → 合成負荷=2.2kΩ//4.2kΩ=1.44kΩ(65%)
ここで求めた4.2kΩが初段差動回路のドレイン負荷(2.2kΩ)と並列に追加されます。そのため実際の負荷は2.2kΩ//4.2kΩ=1.44kΩとなって65%に低下してしまいます。これは、裸利得の低下、直線性の劣化、最大出力の低下を引き起こします。フルバージョンのダイヤモンドバッファの入力インピーダンスは100kΩ以上ありますので雲泥の違いです。以下、32Ωと63Ωの場合についても計算してみました。

32Ωの場合・・・{32Ω+(10Ω÷2)}×200=7.4kΩ → 合成負荷=2.2kΩ//7.4kΩ=1.7kΩ(77%)
63Ωの場合・・・{63Ω+(10Ω÷2)}×200=13.6kΩ → 合成負荷=2.2kΩ//13.6kΩ=1.9kΩ(86%)
この問題をすこしでも解決するには、できるだけhFEが高いトランジスタを選ぶ必要があります。しかし、hFEが高いトランジスタは飽和しやすくパワーが出せないのでどこで折り合いをつけるかで悩みます。2SA970/2SC2240のhFEの圧倒的な高さには魅力を感じますがいかせんコレクタ電流が取れません。2SA1680/2SC4408が大電流に耐えるだけでなく意外にhFEが高いのでこれを候補として設計を進めることにします。

2SA実測hFE2SC実測hFE無理なく流せるIcの最大値
2SA1015-GR190〜2302SC1815-GR250〜34050mA
2SA970-BL360〜4402SC2240-BL500〜60020mA
2SA1358-Y180〜2202SC3421-Y150〜190150mA
2SA1680260〜3602SC4408170〜240300mA

なお、出力段のバイアスの与え方ですがLEDの順電圧を使っています。手元にあるLEDに2mAを流して実測したところ、オレンジ色のものが1.7V、緑色のものが1.85Vでしたのでオレンジ色を選びました。出力段トランジスタのベース〜エミッタ間電圧は、コレクタ電流=25mAにおいて2SA1680が0.59Vくらい、2SC4408が0.61Vくらいですので、1.7Vから0.59V+0.61Vを引くと0.5Vになります。これを10Ω×2で割ればアイドリング電流=25mAが得られます。1.85Vの緑色のLEDにした場合はアイドリング電流=32.5mAとなりますが十分に許容範囲です。これらの値はデータシートや計算では決して求めることはできず、実測するしかありません。無信号時の出力段トランジスタのコレクタ損失(消費電力)は、6V×25mA=150mWくらいとなります。これくらいであれば、トランジスタは程よく温まってくれます。

SEPPを使ったパワーアンプのバイアス回路では、出力段トランジスタの熱暴走を防ぐために使用するダイオードの温度係数を出力段トランジスタのベース〜エミッタ間電圧に温度係数に合わせるという工夫をします。しかし本機ではエミッタ抵抗が8.2Ωと非常に大きな値であるため、バイアス回路に温度補償機能を持たせなくても全く問題はありません。ご参考までに、順電圧が1.7VくらいのLEDの順電圧の温度係数は約-1.8mV/℃であり、ベース〜エミッタ電圧1個分の温度補償機能を持っていますので、本機においてもある程度の温度補償は行われることになります。


■電源回路

電源回路はVersion3と比べて基本的なところで変更はありません。但し、実験の都合でマイナス電源に入れるシリコンダイオードの数が3個と4個の間で何度か変動していますが、最終的に3個に落ち着きました。

■実験機の製作

<内部および基板>

とりあえず画像のみです。画像をよく見ると、22Ωの抵抗器が1個変なところにへばりついています。パターン設計を間違えて取り付けるスペースがなくなってしまったからです。さらに、2SK170の向きが逆です。さあ、探してみましょう!

使用した基板は頒布しているタカス製のIC-301-72です。この実験機の基板パターンはこちらにあります。上の画像とリンク先のパターンとではジャンパーの位置が異なっています。1mHのインダクタは、画像では11mm径がついていますが後に9mm径に変更しました。頒布は9mm径です。


■実験機の測定

測定結果は以下のとおりです。回路がシンプルかつ非常に安定しているので誰が作っても再現性があるという点ではフルバージョンと同じです。

周波数特性における測定条件は、電源供給電圧=15.1V(秋月で扱っているスイッチング電源アダプタ:15V/0.5A 100〜240Vタイプ)、負荷=68Ω、出力電圧=0.316Vです。低域側は10Hzまできれいにフラットで、高域側は-3dBポイントが450kHzとなりました。その先は10MHzまで素直に減衰しており、波形を乱すようなピークは存在しません。こういうおだやかかつ広帯域な周波数特性ですと、じつにきれいな方形波が得られます。

歪み率特性における測定条件は、電源供給電圧=15.1V、負荷=68Ω、LPF=80kHzです。赤い線はマイナス電源電圧を-2.2Vとした試作機のもので、黒い線が-2.9Vとした(若干)改良版です。差動回路をアンバランスで動作させた場合、定電流回路の定電流特性が低下すると2次歪が発生します。本機で歪率特性が悪くなっている主たる原因はそこにあります。そのために歪み率特性が弓なりではなく直線的になっています。比較参考のためにFET差動ヘッドホンアンプVersion2とVersion3のデータも書き入れておきました。やはりここまでシンプルにすると物理スペックはダウンしますね。FET差動ヘッドホンアンプのトランジスタ群が無駄についているわけではなかったことがわかります。

利得は2.52倍(8dB)です。残留雑音は、帯域80kHzにおいて9.3μV、帯域20kHzでは6.0μVとかなり良い低雑音性能が得られました。左右チャネル間クロストークは20Hz〜20kHzで-80dB以下を得ていますので全く文句ありません。


■実験機の改良

さて、ここからが本番です。これまでの実験でわかったことは、以下のとおりです。

(1)初段差動回路を抵抗1本で済ませたことで歪率特性が著しく劣化した。
(2)ダイヤモンドバッファを組まなくても比較的高いインピーダンス負荷であれば十分な出力が得られそう。
(3)ここまで簡素化してもFET差動ヘッドホンアンプのトーンキャラクタは失われない。
次の実験でやるべきことははっきりしました。初段差動回路にまともな定電流回路を入れるということです。回路を簡素に済ませたいのでシリコンダイオード×2本と2SC1815を1本使った方式とします。この方式は簡単ながら特性は非常に優れています。定電流回路に変更することでマイナス電源は若干浅くできますので、マイナス電源の4本あるシリコンダイオードは3本に減らしました。マイナス側の電圧が減った分だけプラス側の電源電圧を高くすることができます。また、いろいろと実験を行った結果として出力段のエミッタ抵抗を10Ωから8.2Ωに減らし、アイドリング電流を25mAから31mAに増やしています。回路図および基板パターンは以下の通りです。

下の基板パターンには、トランジスタの向きを赤で書き込んであります。写真では2SK170の向きがすべて逆ですので、製作では写真を真似しないでください。

この製作における基板の使い方についてはこちら(http://www.op316.com/tubes/tips/k-takasu.htm)に詳しい解説がありますので是非お読みください。

実験機と比べると部品が少しだけ増えています。★マークのところのジャンパーだけは他と接触しないために絶縁されたビニル線を使います。なお、下の画像は不完全なパターンのままでの実装となっていますので、上の基板のパターン図とは一致しません。パターン図の方が正しいです。

←2SK170の向きが逆!


<部品について>

初段の2SK170はBLランクです。できるだけバイアス特性が揃ったペアを使ってください。当サイトで頒布している2SK170-BLのペアであれば申し分ありません。トランジスタの2SA1680と2SC4408はできるだけhFEが高いものを選別してください。その他さまざまなPNP/NPNコンプリメンタリ・ペアが使えます。たとえば、2SA1680/2SC4408の類似トランジスタに2SA1020/2SC2655がありこちらの方が入手しやすいでしょう。2SA1680/2SC4408との違いは内部容量が大きいこととhFEが低いことです。そのため仕上がりの物理スペックは若干劣りますが、聞いてわからぬくらいのわずかな差ではないかと思います。

下図は、本機で使用したFETの2SK170およびトランジスタの接続です。いずれも、印字面を手前にした状態あるいは下から見た図です。上からではありませんので間違えないでください。2SK170は、回路図でいうと、上からドレイン(D)、ゲート(G)、ソース(S)の順ですが、実物は左からドレイン(D)、ゲート(G)、ソース(S)の順です。おなじみ2SK30とは左右が逆ですので注意してください。トランジスタは回路図で矢印がついているのがエミッタ(E)、横に出ているのがベース(B)、斜めに出ているのがコレクタ(C)ですが、実物は左からエミッタ(E)、コレクタ(C)、ベース(B)です。

配線の時、トランジスタの裏表(左右)を間違えてしまう人、2SAと2SCを取り違えてしまう人がたくさんいます。一旦取り付けてしまった3本足の部品をはずすのは至難ですからくれぐれもご注意ください。


2SK170 2SA1680 / 2SC4408 (2SC1815も同じ)

マイナス電源用の4個のダイオードは順電圧を使った簡易定電圧回路ですので通常のシリコン・ダイオードでなければなりません。10DDA10を指定します。SBDは順電圧は非常に低いので使えません。順電圧が差動回路の動作条件を左右するので、シリコン・ダイオードでも電流容量が異なるものは順電圧が変わってしまうのでおすすめしません。1Aタイプのものを使ってください。

定電流回路で使用したのはガラス封入のごく一般的な小電流用シリコンダイオードで、1S2076Aを使いました。

ヘッドホン・プラグ/ジャックの結線は右上図のとおりです。先端をTipと呼んで「左チャネル」、真ん中をRingと呼び「右チャネル」、根元がSleeveで「アース(共通)」です。Top-Ring-Sleeve構造のプラグ/ジャックのことを略して「TRS」とも呼びます(画像出典:Behringer社)。ジャック側の端子の配線は部品によってまちまちなので、実物を見て、テスターで導通をみて判断してください。お持ちのヘッドホンをジャックに差し込み、Ωレンジにしたテスターで端子を触るとジリジリとノイズが聞こえますから、それで左右を判断したらいいでしょう。

LEDは2種類を使いました。出力段のバイアス用には通常タイプでオレンジ色のものを使っています。LEDは型番によって、色によって順電圧が異なります。本機では2mAを流した時に1.7〜1.75VくらいになるLEDが適します。色としては赤〜オレンジの範囲で3mm径の小型のものであれば大概は使えます。パネル表示用には当サイトではおなじみのPG3889Sを使い、約4.5mAを流して点灯しています。表示用は何を使ってもかまいませんので好みで決めてください。

抵抗器はすべて1/4W型です。アルミ電解コンデンサは自然な音が得られる通常タイプを使いました。オーディオ用と称するものはそれぞれに音に色がつきますからどうなるかは自己責任ということになります。本機ではケースの都合で1000μF/16Vのものを複数並列にしましたが、2000μFは2200μF1個、4000μFは4700μF1個に置き換えてかまいません。1mHのインダクタは0.48A(1.1Ω)のものです。電流容量に余裕がないものを使うと電源ON時に焼き切れますので電流容量は必ずチェックしてください。

ケースは、扁平なタカチ製HEN110320(pdfカタログ)を使用しました。サイズ(外形)は、幅11.15cm、高さ3.25cm、奥行き20cmですが、ご覧の通りのすかすかです。奥行12cnのHEN110312でもなんとか収まります。

DC12Vスイッチング電源は秋月電子のDC15V/0.8Aタイプ(600〜700円)です。きわめて廉価ですがスイッチングノイズが非常に低く、特性的にも申し分のないものです。これに適合するDCジャックは内径2.1mmの標準タイプです。DCジャックほかほとんどの部品が千石電商で廉価に手に入ります。

ボリュームは、左右精度が非常に良く、雑音性能・耐久性に優れたアルプス製のボリュームRK27シリーズを使いました。

★本機の製作で使用した部品は、ケースおよびツマミを除いてすべて当サイトで頒布しているものを使用しています。
部品頒布ページはこちら→ http://www.op316.com/tubes/buhin/buhin.htm


■改良版=最終版の測定

測定結果は以下のとおりです。実験機よりも若干帯域が広くなりました。高域側の-3dBポイントが650kHzとなりました。これは単に裸利得が高くなったことによる負帰還量増加の効果だと思います。利得は2.68倍(8.6dB)です。残留雑音および左右チャネル間クロストークは変わりません。

歪み率特性については定電流回路に変更したことで劇的な改善がありました(青い線)。左下のグラフのデータは68Ωのものです。いろいろとチューニングを行った結果、Version3に迫る特性を得ています。Version3と同じ電源電圧でありながら最大出力がやや低いのは出力段を1段で済ませたことの結果です。それでもVersion2を引き離していますから立派です。

右下のグラフは本機の負荷インピーダンス別の歪み率特性です。歪み率が1%となる出力は、120Ω負荷時52mW、68Ω負荷時78mW、33Ω負荷時98mWとなりました。普通のヘッドホンでは50mWで難聴確実な爆音が得られますのでパワー的には十分です。データはグラフ上に出ていませんが16Ω負荷では100mW以上が得られます。


■利得の調整

本機に調整個所はありません。シンプルがコンセプトですから利得は固定です。100Ωと220Ωとで決定されます。もうすこし利得が欲しい場合は、100Ωを56〜68Ωに変更してください。利得を下げたい場合は220Ω側を120〜150Ωに減らしますが、利得はあまり減らすことはできません。

■ふりかえり

非常におもしろい実験&製作でした。片側入力&アンバランス型の差動回路では、定電流特性が歪み率低下に大きく貢献することがよくわかりました。こんな簡単な回路でも、素子や回路定数をうまく選べばかなりのものができてしまうという発見もありました。

現在、掲示板ではさらに話題が進み、2SK117や2SK170といった高gmタイプのJFETならば1本で低電圧動作が可能な定電流素子が得られる報告があります。これは是非実験してみたいところです。少ない素子にこだわるなら選別の手間や無駄をさておいても高gmJFETの採用はアリですね。廉価に確実にいくのであれば本機のようなダイオード+バイポーラ・トランジスタとなります。物理性能的には後者が優れていると思いますが、おそらくいずれを採用しても出てくる音に差はほとんどないでしょう。

さて音ですが、本機の音はあなどれません。満足すべき音が得られています。このシンプル版が入門機で、これを作ってからVersion3にレベルアップ・・・という考え方はちょっと通用しないでしょう。何故なら、出てくる音がほとんど同じでVersion3に変えてもレベルアップしないから・・・。厳密にはほんのすこし違いますが、どちらがいいかというと私にはよくわかりませんし、ブラインドで聞かされたら区別できないだろうと思います。本機は我が家の寝室で、寝る前に音楽を聞くのに使っています。

これを作ってみたいという方がいらっしゃると思いますので、部品頒布リストを公開しました。
http://www.op316.com/tubes/buhin/b-hpset-simple.htm



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