私のアンプ設計マニュアル / 雑学編
2.物理性能と音
増幅器の物理的な性能の優劣と、その増幅器が持つ音質、音色そして音場感といった人間の知覚から認識される音のよしあしとの間には密接な関係が存在し、総じて良い音を得るための物理的性能水準は高いところにあります。従来、真空管増幅器は近来の半導体増幅器と比較して物理的性能は劣っていても、それでも半導体増幅器にはない音の温かみややわらかさがある、などと言われてきました。しかし、ほんとうに良く出来た半導体アンプの音に総合力で対抗できる真空管アンプはそうあるものではありません。真空管アンプは物理的な性能において弱点を多く持っており、それを克服するのはなかなか大変なことだからです。

実際、真空管を使用して現代の半導体増幅器並の物理的性能を実現するのは容易なことではありません。トランジスタに比べて真空管の方が直線性が良い、という説には賛成しかねます。トランジスタを真空管と同等の高い電源電圧で使用すると真空管の及ばぬ物理特性を示しますし、素子を組み合わせることで負帰還技術に頼らなくても容易に低歪を得ることができます。それに対して真空管は固有の弱点や非直線性を克服する有効な手段は少ないのです。

一方で真空管には、工芸品(まさに工業製品であり芸術品である)ともいえる姿の美しさ、加えてほんのり灯ったヒーターやフィラメントのあたたかさがあります。私にとって、真空管はトランジスタや最新半導体が逆立ちしてもかなわない魅力を備えている不思議な物体です。そしてその真空管がこの世からいよいよ姿を消はじめています。音楽のみならず芸術の美を愛する者が、切ない思いで真空管増幅器にあこがれるのは当然というべきではないでしょうか。(と、ここまで書いたのを娘が読んであきれた顔をしています。なんでもいいからいい音出してよね、といわんばかりに。)

今日、上に述べたような性能を求めて、数十年以上前に設計された真空管増幅回路を模倣することには相当な無理があると考えます。時代とともに求められるボトムラインとしての物理性能の基準も大きく変化してきました。1960年代のオーディオアンプのS/N比は60dBが標準で、かなり上等なもので70dBを得ていましたが、その程度の数字では十分な静粛さは得られないことがわかっています。当時の高級アンプのカタログを見ると「残留ノイズ1mV以下」なんていうスペックもありましたが、1mVは立派な音として聞こえます。オーディオアンプの帯域性能は20Hz〜20kHzあれば十分という話ももはや通用しません

しかし、良い音のアンプの多くは、その背景のひとつに優れた物理特性がありますが、物理特性は良くしただけでは良い音は得らないというのもまた事実です。物理特性を目標としたアンプ作りは道を誤るでしょう。


歪率の考え方

偶数次歪みは善、奇数次歪は悪、という善悪論がオーディオ界を支配してきました。偶数次歪みは耳に心地よいが、奇数次歪みは不快であるという説ですが、その説を語る人々のどれほどが実際に自分の耳で確かめようとしたのでしょうか。トランジスタは奇数次歪みが主体だが、真空管は偶数次歪みが主体なので音が良い、というとんでもないお説までまかり通っています。

偶数次歪み(偶数次高調波成分)を多く含む音で身近なものというと普通のオッサンの声でしょうか。フルートの音も偶数次歪み(偶数次高調波成分)を多く含みますが、クラリネットは奇数次歪みが多いです。ストラディヴァリウスの音は奇数次歪み(奇数次高調波成分)を多く含みます。しかし、楽音のほとんどは偶数・奇数がいろいろに混ざっているのが普通です。

そもそも歪みとは何か、高調波とは何で歪みとはどんな関係なのか、歪率計は何を測定しているのか・・・といった基礎的なことをまずは勉強する必要があります。それを知らずに数字としての歪率を論じることには意味がありません。さらに一歩踏み込んで、その歪みは回路のどこでどんな風にして発生したのかについても理解しておかないと回路設計はできません。

人は歪み率という数字は何故か追いかけたくなるもののようです。歪みは多いよりは少ないほうが良さそうだ、ということは間違いなさそうですが、測定しはじめてみると数字そのものが気になって仕方なくなり、やがて一人歩きをはじめます。しかし、歪み率の数字ばかり追いかけていても決して希望する良い音は得られません。例えば、歪率が1kHzでは0.01%で10kHzでは0.1%のアンプと、100Hz〜10kHzが0.05%のアンプがあったとします。あなたはどちらかを選び、何故そちらを選んだのですか。単純に一つの数字を追いかけても意味がありません。

音の悪いアンプや素性のよろしくないアンプの歪みを減らしても良い音のアンプに化けてはくれませんが、非常に音の良いアンプの歪みをさらに減らしてみると音に磨きがかかるという現象はよく経験します。


ダンピング・ファクタの考え方

ダンピングファクタは、想定した負荷インピーダンスをアンプの内部抵抗で割ったものですから相対的な数値であり「架空の指標」です。世の中では、ダンピングファクタ値そのものが一人歩きしているような印象を受けます。そのため、いたづらにダンピングファクタ値の高さを競うことになったり、数値に振り回される場面も生じてしまいます。アンプを自作される方は、ダンピングファクタの値ではなく、内部抵抗値に興味を持ったらいいでしょう。スピーカーのインピーダンスが変化すればダンピングファクタは変化してしまいますが、内部抵抗は変化しません。

真空管シングル・アンプの場合・・・経験的には、最低でも5.0以上であることが望ましいようです。小型スピーカの場合、どうやらダンピング・ファクタが物を言うようです。正確には、オーバーオールの負帰還をかけない状態でのダンピング・ファクタです。

真空管プッシュプル・アンプの場合・・・プッシュプル・アンプを使うようになって気がついたことですが、どうも、プッシュプル・アンプでは、ダンピング・ファクタはシングルの時よりも低めでも問題が表面化しにくい、ということがいえそうです。理由のひとつとして考えられるのは、プッシュプル・アンプ用の出力トランスの方が圧倒的に低域特性が優れていることが挙げられます。

半導体アンプの場合・・・ほとんどのアンプは、普通に設計しただけで30〜200くらいのダンピングファクタ値になります。20以上になると値は関係ないように思います。何故なら、スピーカーケーブルの直流抵抗が0.2Ωあるだけで、ダンピングファクタが200のアンプが33になってしまうからです。


雑音の考え方

私は、スピーカーに耳を近づけてもなかなか聞こえないくらい静かであることを要件のひとつとしています。不思議なもので、ソースに含まれる残留雑音はある程度我慢できても、システムから常時発生する雑音は我慢ならないものです。残留ハム0.8mV(16ΩA補正なし)のメインアンプの電源をいれっぱなしにした状態では、スピーカーからもれるハムが気になってピアノの練習にさわる、というのが娘の注文でした。

設計や実装でちょとしたことに気を遣い、理にかなった作り方をするだけで、非常に静粛なアンプを作ることができます。是非、静粛なアンプの気持ちのよさを知ってください。残留ノイズ0.2mV以下のオーダーのアンプを作るというのはそんなに難しいことではありません。しかし、雑誌等の製作記事の多くは、残留雑音が1mV前後で妥協しているものをよく目にします。もっと、静粛さに贅沢になって欲しいと思います。

雑音には、オーディオ機材そのものから発生するものと、外部からやってくるものとがあります。オーディオ機材そのものから発生する雑音をできるだけ小さくする、というアプローチに加えて、外部からやってくる雑音の影響を受けないようにするアプローチがあり、さらに外部に出さないようにするアプローチの3つがあります。カセットデッキから50Hzのハムが出るので調べてみたら、すぐ下のチューナの電源トランスが犯人だったことがあります。

雑音には、耳に聞こえる雑音と、耳に聞こえない雑音があります。また、スピーカーから聞こえることで不快な思いをする雑音と、回路の中で悪さをする雑音があります。デジタルオーディオが出す20kHz以上の帯域の雑音は案外放置されていて、これを除去するだけで音が一変します。

雑音には、連続的に発生するものと、不連続なものとがあります。冷蔵庫や蛍光燈のON/OFF等でバチッとはいるのが後者の代表でしょう。MCカートリッジでの演奏中でもこのような雑音が混入しないようにしなければなりません。こういう雑音がはいる/はいらないで、リスニングルームの「格」が決まります。

高校生の頃、しばらく渋谷の喧騒のなかに住んでいて、郊外の静かな住宅地に引っ越した時、家族全員が寝不足に陥ったことがあります。あまりに静かで夜になると何も聞こえなかったからです。同じような現象は、お正月の東京都区内でも経験できます。街全体のノイズレベルががくっと低下するからです。こんな日に、家中の音源をOFFにして我がオーディオ装置を鳴らしてみることをおすすめします。スピーカ以外の意外なものがノイズを発生させているかもしれません。


周波数特性の考え方

10年前、ここで「再生装置においては、通常の音量(0.01W〜1W)において充分広帯域(10Hz〜100kHz -3dB)であることが必要です」と書きましたが2017年の今は考えを改めました。下は10Hz、できれば5Hzくらいまで一定のクォリティが欲しいですが、上は30kHz程度でも十分足りるというのが今の実感です。

10cmくらいの口径の小型スピーカで50Hz以下の帯域がまともにフラットであるわけはないのですが、人間の耳というのは不思議なもので、どんどん減衰していっている低い帯域であっても、ちゃんと感じてくれています。減衰しているから必要ない、というのではなく、減衰するような帯域であってもアンプとしては十分なレスポンスとクォリティは維持しなければならないのだと思います。

古今、増幅回路のカソード側の抵抗と並列に挿入されるパスコンの値が、どのアンプをみても右へならえの「100μF」のように思えます。この値に疑問を感じて欲しいと思います。「10μFにしたら、1000μFにしたら、どう違うのだろう」くらいの疑問を持って欲しいのです。私は、ほとんどの場合、このコンデンサに470μF以上のものを入れてごらんなさい、とアドバイスします。そして、どうなったか。それは、やってみてご自分で答えをみつけてください。

世の中には、5Hzあるいは20Hz以下は害多くして利益なし、という考え方も存在します。超低域はアンプにとって有害である、という説は何十年も前から言われています。その説はどこまで本当なのでしょうか。それはそれで、メリットもあるのでにわかに否定はしませんが、音のプレゼンスに着目すると、超低域カットがもたらすデメリットとその限界を感じる方も多いことでしょう。本ホームページは、そのような欲求を持った方にとっては少しは足しになると思います。

ちなみに、レコーディングの現場では30Hz以下のノイズの問題は結構深刻なものがあります。特にクラシックの録音では、ホールの響きも音楽のうちなので防音の施されたスタジオでの録音には適しません。ホールを使う場合、レコーディング中は暑い寒いを我慢してかならず空調を切ります。それでも外部からのゆらぎのノイズに悩まされるため、さまざまな方法で超低域をカットせざるを得ません。しかし、一旦レコーディングされてからは、録音されてしまった市電の音すら音楽の一部になっています。そこが、レコーディングと再生オーディオとの違いでしょうか。


左右チャネル間クロストーク特性の考え方

左右チャネル間の信号の洩れは、音の品位に結構影響を与えることがわかっています。電源回路で手を抜くと100Hz以下でじわじわと悪化してゆき、10Hzでは40dB以下などというひどいことになります。高域側は配線や部品同士の近接による静電容量によって左右間で信号の飛びつきが発生します。

1990年頃の私は、ステレオ感の定位の正確さはもっぱら左右チャネル間クロストーク特性の良さに依存すると考えていましたが、2010年頃からそういうものでもないと考えを改めました。左右チャネル間クロストークを良くしてゆくと定位がしっかりしてくるという現象と、左右チャネル間クロストークが生じていてもはっきりとした定位感が得られるという相反する現象を経験しているからです。

左右チャネル間クロストーク特性についてはことさらに神経質になる必要はないのかもしれませんが、それでも回路設計と実装の両方で左右間の信号の影響は少なくように工夫することは意味があります。

アンプ作りで大切なのは、左右チャネル間クロストーク特性はどんな原因でどんな風にして低下するのか、どうすれば良好な特性が得られるのかについてよく考え、研究・学習することです。ものごとの仕組みについてよく理解することで結果はおのずと出るものです。

世の中には、どうせスピーカーから出た音は空間で混ざってしまうから、ホールの座席で聴くのに定位も何もない、といったご意見もあるようです。そのような意見は録音芸術を勘違いしています。生の演奏とレコーディングされた音楽とは根本的に異なるものです。それは、レコーディングや編集の現場に行ってみればすぐにわかることであり、それがいかに見当違いの考えであるかがわかります。録音芸術は、生演奏では絶対にできないことを実現するのが重要な目的のひとつなのです。(そういう意味では、ライブ・レコーディングは録音芸術とはいいません)


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