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私のアンプ設計マニュアル / 雑学編 19.良い音のアンプやオーディオシステムを実現するには 2008.3.29 |
美的感受性
良い音を出す、良い音のするアンプやオーディオシステムを作るために必要で最も重要なことは、先に結論を申し上げると「美的感受性」を磨くことです。美的感受性とは、目で見てはっとするような美しいデザインに対する感性であり、また、音楽を聴いていてある瞬間に体がゾクゾクッとしたり不本意にも涙が出てしまったりするあの独特の感じに対する研ぎ澄まされた感性のことです。そして、どこを見ても冬景色の2月下旬、道端に小さく咲くオオイヌノフグリの青い輝きを見て、春がまだまだ遠いながらも山の向こうまで来ていることを感じてわくわくするような季節や自然の移り変わりに対する感性をも含みます。私達は、目で見た形、音、肌で感じる感触、味覚、香りといった五感だけでなく、文書や体験したできごとに対しても感動や美しさを見出すことができます。そういう意味では、美的感受性は人間そのものが備えた感性の総合力だともいえます。そして、良い音を出す、良い音のするアンプやオーディオシステムを作るためには何よりもこの美的感受性が必要なのだと言いたいのです。
こんなことを書くと、何もそんな大げさに考えなくてもいいではないか、音は音として良いものを追求すればいいではないか、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが私はそうは思いません。また、このページを開く時、そこに具体的な良い音のアンプを作るための近道が書いてあることを期待されて、実はここにはそんなことはほとんど書かれていないことに落胆された方は、そもそも最初から私のホームページを開いたことは間違っていたかもしれない思った方が正解かもしれません。
私は、美的感受性に対する総合力を磨かないと、良い音のアンプやオーディオシステムなど絶対に作れないと心から思っています。
身近なケース
私は最近「やられた」と思っていることがあります。身内を例に挙げることをお許しいただいて少し書いてみます。私はいわゆるサラリーマンですから9時〜5時という条件を越えて人生のうちのかなりの部分を仕事に取られています。気がつくと好きな音楽を聴きに行く機会が少なくなっていました。美術の鑑賞は決して嫌いではありませんが、あまり積極的な方ではありません。映画についてもしかりです。一方、ムスメは早くから音楽に関心を持つようになり、結局、芸術関係の道に進んでゆくようになりました。そうなってくると、自分が演奏するだけでなく、何かとコンサートの誘いがあったり招待券が舞い込んだりするようになり、多いときは週に4回くらいコンサートや演劇に出かけているようです。美術作品の展示会に行く回数も非常に多く、おそらく首都圏の主要な美術館は概ね把握してしまっているようです。見たい作品があると、弘前まで足を伸ばしたり、さっさとパリに行ってしまったりします。
最近気づいたのですが、ムスメが買ってくるCDは例外なく私も気に入ってしまい、愛聴盤になっているという事実です。彼女が手に入れてくるCDにはまずはずれがありません。知り合いのあるご婦人は、彼女に「どんどん好きなCDを買ってきてちょうだい」と言ってCD選びを完全に任せているそうです。私は、音楽の選定眼において負けたと思っています。彼女は、時々私にネクタイをプレゼントしてくれるのですが、そのネクタイは私だったら気づかないような柄のものばかりです。私の意識の範囲を超えたところから、私に似合うものを見つけてしまうのです。ある時、旅行に行くと言ってとてもすてきなトランクを買ってきました。GLOBE TROTTERというメーカーのもので、デザイン、色彩、品質どれをとっても申し分のないものでした。今、我が家の旅行用トランクはGLOBE TROTTERに置き換えられつつあります。癪ですが、ちょっと勝てません。美的感受性において総合力で勝負あった、という感じがします。親馬鹿のムスメ自慢はこのへんでおしまいにしましょう。
2005年のこと、ウィーンを含む東欧に行ったのをきっかけに私も少し反省して、もっと美的感受性を磨きたいと思って行動を変えることにしました。まず、好きな音楽を聴く機会を大幅に増やしました。格別に好きなウィーンフィルやその団員による室内楽だけでなく、元々好きだったJAZZのライブ、特にビッグバンドの回数が増えました。これは効果てきめんでした。学生の頃に没頭していたあの感じが戻ってきました。しかも、若かった頃よりもより強くはっきりとした感動が得られることに気がつきました。年の功も捨てたものではありません。芸術鑑賞能力だけは、加齢することに分がある感じがします。自分が求める音楽や音がどんなものであるか、この数ヶ月で非常に明確になったきたことを実感しています。
技術と情熱と
私が学生の頃に共に音楽に親しみかつ音楽を指導してくださったHさんという方がいます。Hさんはいつも「心だけでは良い音楽はできないし、技術だけでも良い音楽はできない」とおっしゃっていました。へたくそであることを棚上げしているアマチュア演奏家達に向かって「情緒に流れるな」、「言い訳しないでやっぱり腕も磨け」と言いたかったのでしょう。この考え方はアマチュアのものづくりにもあてはまります。「自分で作ることに意味がある」とか「作ることの喜び」という次元では、真に音の良いアンプやオーディオシステムはできません。「技術がなければ駄目」だということに疑いはないと思います。私がホームページや本で、ロードラインや負帰還の基本的理解のための説明に力を入れているのは、これがわかっていなかったら本当に「自分で作ることに意味がある」や「作ることの喜び」だけで終わってしまうと思うからです。言いかえると、ロードラインや負帰還といった基礎的な技術をしっかりマスターしてしまえば、アマチュアとしてかなりのところまで行ける、場合によっては怪しげな雑誌の製作記事を書いているライターの1人や2人はゆうに追い越せるということです。但し、私がそうだというわけではありません。私はものごとをわかりやすく人に伝えることは得意ですが、だからといって私が優秀な技術者であるかというとそれば別の問題です。ロードラインや負帰還の次に重要なのは、アースに関する基本的理解と部品に関する知識だと思います。
では、こういった理解や知識がどんな風に役に立つのでしょうか。ロードラインや負帰還やアースや部品の理解を深めることによって、良い音を出すためのヒントが得られるのでしょうか。
残念ながらそういった期待はしない方がいいでしょう。雑誌の製作記事を見ると「太い音にしたかったのでプレート電流を多めに流した」とか「音に躍動感を与えるために負帰還をかけなかった」といった記述に溢れています。世の中どちらかというとそういったアプローチの方が目立ちますが、ロードラインについてしっかり理解できているならば「プレート電流を増やしたから音が太くなる」なんていう話を鵜呑みにすることはなくなりますし、「負帰還をかけると音が悪くなるから無帰還でないと駄目」なんている電源スイッチのON/OFFみたいな発想に毒されなくて済むようになれます。自己流のアース配線のせいでハムに泣くことがなくなるだけでなく、雑誌の製作記事のアース配線の不備を発見できるようになり、一発でハムのない静粛なアンプが作れるようになります。高価なビンテージ部品に眩惑されなくなり、ジャンク屋の店頭やオークションに出ている部品の目利きができるようになります。
このようなことができるようになってはじめて、真に音の良いアンプやオーディオシステムへの入り口近づくことができるのだと思いますがいかがでしょうか。
1個6万円もする出力トランスにベルマークの300Bを投入したにもかかわらずアース配線がでたらめなアンプと、ペアで3000円のEHのEL34と手ごろな価格の出力トランスFE-25-8を使った静粛かつ安定に動作するアンプと、一体どちらが上等かというと、もしかしたら前者の方が価格的には上等かもしれません。しかし、前者のアンプを作った人と、後者のアンプを作った人を比べたら、アンプ製作者としては後者の方が上等であることに異論はないでしょう。
良い音の自己形成
冒頭で述べた美的感受性を養うことの重要さは、その人その人における「良い音とは何か」ということに関する自己形成につながります。自己の中に良い音とはどんなものであるかが形成されていないと、常に迷いが生じるようになります。オーディオの世界では、電源ケーブルを変えても、出力管を変えても、コンデンサ1個変えても音は変化します。このような音の変化は常に私達を悩まし続けてきました。しかし、良い音が自己形成できている人は、そういった変化に会っても迷いが生じることはありません。逆にいうと、いろいろといじって音が変わるたびに一喜一憂している人は良い音に関する自己形成ができていないのだと思います。変化が起きるたびにあっちに行ったりこっちに行ったりしてとても忙しそうです。時々、それこそが楽しいのだという人がいますが、私はその種の人とは会話ができないので距離を置くことにしています。
求める音に迷いがなくなってくると徐々にではありますが「比較試聴」ということをする必要がなくなってくることに気づくと思います。今、目の前にあるたった1つのアンプやスピーカーから求める音が出たならば、他と比較する必要などないからです。但し、比較することが目的化している場合は別です・・・野暮なことを言うつもりはありません。2つを比較するということは、いいかえると2つともに求める音ではない、目標まで到達していないことを意味します。幸いなことに、私はすでに求める音が明確にイメージできていますので、オーディオ機材を購入する時は比較試聴らしきことはまずやりません。出合った時が決断の時、という感じです。アンプの製作も同じで、出来上がったアンプの音が求める音と違っていたり、いろいろ工夫してもどうにかなる見込みがないことがはっきりしてくると、以後、そのアンプを鳴らすことはなくなります。解体するかしまったままにするかのどちらかです。稀に、「もしかして」と思って引っ張り出して聞いてみることもありますが、ほぼ確実に「やっぱり駄目か」で終わります。従って、我が家には異なるアンプを切り替えて試聴できるようなA/B切り替えスイッチのようなしかけはありません。
面白いことに、その道の達人たちが作るアンプは、その回路方式や使用デバイスがどうであろうと関係なく、その人ごとにある一定の音の傾向があります。きっと、その音が指し示す方向がその人の中で形成された求める音なのだと思います。
もう少し具体的な話
良い音を手に入れるためのもう少し具体的な話をしましょう。先日、秋葉原の真空管屋の店頭で店番のおじさんに(例の飴とか干芋とかくれるおじさんです)「EL34はSOVTEKとJJとどっちが音がいいですか」と聞いているお客さんがいました。「そんな質問するなよ」と言いたいのを我慢して黙って聞いていると、おじさんは「それは、人それぞれだからねえ」と答えます。「どう違うんですか」という質問がくると「こっちの方がしっかり作られてるね、だから値段も少し高い」と答えました。まことに適切な回答であると思われます。お客の方はじっと考え込んでしまいましたが、これはそんな質問をした方が悪いんですね。レストランに行って、メニューを決める時に「ロースとフィレとどっちがおいしいですか」って聞くのと変わりませんから。しかし日本という国はまだいいです。そんな阿呆な質問をしたお客でもお店はちゃんと相手をしてくれている。これがウィーンの楽譜屋・・・例の”D”です・・・だったら、そんなお客には掘り出し物の楽譜なんか絶対に出してくれなくなります。いい加減な版の安い楽譜をドサッと出されて勝手に選べって言われて終わりです。
まだ聞いたことのない2種類の真空管があった場合、どっちがいいかは自分で聞いてみるしか確かめる方法はありません。以前、私はEIの太いEL34を買ったことがあります。EHのスマートな形状で安いEL34があるのに気づかず、高い方の買ってしまいました。持ち帰って音を聞いてみたところ、比較するまでもなく私が期待するEL34の音がしません。仕方がないのでもう一度店まで行ってスマートな方の安いEHのEL34を買ってきて聞いたところ、こちらは期待する音が出る。もし、最初からEHのEL34を買っていたら他のEL34を買う必要はありませんでした。しかし、これは店番のおじさんに聞いてわかるような問題ではないですね。そして、両方を並べて比較する問題でもありません。要するに、当たるかはずれるか、どちらかだということです。
良い音を手に入れたかったら、自分で決めろ、というのが私の考えです。
どの世界にも通説とか既成概念というものがあります。通説とか既成概念というものは、言いだしっぺは大概特定の誰か1人ですが、宣伝が非常にうまかったり、政府が後押ししていたり、周囲が「そうだ、そうだ」と言うようになり、やがて本や雑誌上にそのことが繰り返し書かれたりしてゆくうちに社会全体に浸透してゆきます。通説が多いのは健康の話題とこだわり系の趣味の世界です。私が子供の頃は、夏の暑い日に運動してへばった時、ほとんどすべての大人が「水を飲んではいけない」と言ったもんです。今ではそんな阿呆なことを言う人はごく少数になりましたね。「真空管はあたたかい音がする」、「2次歪みは耳に心地良いが、3次歪みは耳障り」。何をいい加減なことを言っているのだ、といいたい。
良い音を手に入れるための次なるステップは、通説や既成概念を払拭することからスタートします。これができない人は、いつまで経っても目の前の壁を越えることはできません。ブックシェルフ・スピーカーは本棚に詰め込むべし、と思っている人は、そう信じている限り豊かな低域を手に入れることはありません。本棚から出して、前後左右に空間を与えることなど考えもしないでしょう。人や世間の言うことに振り回されないで、自分の行動が人と違うことを恐れないでいろいろやってみるということです。
サントリーホールを音が良いホールの代表のように言う人は非常に多いですが、私もうちのかみさんもサントリーホールの音をいいと思ったことはありません。むしろ、濁って聞こえる長い残響が耳障りだと思っています。ある時、思い切ってそのことを某レコーディングエンジニア氏に言ってみたら、「そうなんだよ、あそこは残響時間はまあいいとして残響の音の質がきたないのでレコーディングしづらいんだ」とこぼしたので、自分が感じたことは信じた方がいいと確信するようになりました。
真に自分が求める音を手に入れるためには、最終的には自分の感性を信じるしかありません。但し、基盤ができていないで独走すると判断を誤ります。だからこそ、自ら確信を持って行動できるようになるために、美的感受性に磨きをかけておく必要があるのです。
技術思考・論理思考の危うさ
技術的・論理的に組み立てた仮説は、数学や物理の世界はさておき、人間の感覚や感情、思考、社会科学などの世界においてはきわめていい加減で信憑性が低いものです。1つ例を挙げてみましょう。「増幅段数は少ない方が音が良くなる」というのはどうでしょう。「増幅段数が増えてしまったら、音はどんどん悪くなる。音の鮮度は失われる。いいことなんかない」という説明はとてもわかりやすいですね。では、試みにこれに反する仮説を立ててみましょう。「音は、増幅段数を経ても悪くなんかならない」。厳密に言えば、アナログ回路の場合、増幅段を1つ通れば必ず歪みが生じますし、ノイズも付加されます。しかし、そのことが原因となって生じる音の劣化は大したことはない、という仮説です。この仮説に立つと、3段アンプあるいはそれ以上の段数のアンプは段数が多いからといって必ずしも単段アンプよりも音が悪いとは言えないことになります。CDプレーヤーとパワーアンプの間にラインアンプを入れたからといって不利な条件になるとは限らない、という可能性が出てきます。どちらが正しいかということを言っているのではありません。
もう1つ例を挙げてみます。「良いアンプは部品の違いが音に出る」というやつです。いかにもわかりやすく、説得力がありそうです。しかし、この論理に異を唱える人は非常に多いという現実も存在します。この論理をつきつめてゆくと「良いアンプを作るには部品を厳選しなければならない」にはじまって最終的には音が良いと言われている高級部品ばかりで固めたものになったり、製造中止になった特定の部品を追い求めてYahooオークションが賑わう結果になります。また、部品を入れ替えても音が変化しないアンプは「良くないアンプ」ということにされてしまうかもしれません。
逆の論理を掲げたらどうなるでしょうか。「良いアンプは部品の違いの影響なんか受けない」とか「部品によって音がころころ変わるアンプは出来が悪い」というところからスタートするものです。この論理をつきつめてゆくと「部品の影響を受けにくい回路上の工夫」がなされることになり、「良い音を出すための鍵を握るのは部品ではなくもっと別のところにある」となってゆきます。両者相譲らずいつまでも終わることのない議論が続くことでしょう。どちらが正しいかという問題ではないからです。
私はかつては前者の考え方に傾倒し、この15年くらいは後者の考え方をするようになりました。しかし、そんなことはどうでも良くて、今ここで申し上げたいのは、論理の積み上げはとっても危うく脆いものであるということです。論理というのは、スタートラインが違えばどうになもなっていってしまうものだ、そして同じ人でも置かれた環境や経験や周囲からの影響によっていかようにもなっていく、ということです。
「こうだから、こうなる」とか「だからこうなるはずだ」という論理の展開は多くの場合、賢人がこれを行うと真理をみつけてしまうのですが、我々凡人の場合はほとんどのケースでやがて偏った袋小路に迷い込みます。特に趣味のオーディオの世界ではこの袋小路に迷い込んでしまいやすい気がします。信じて、信じて、信じて、どんどん行ってしまう。ある種の○○原理主義になってゆくんでしょうね。まあ、好きでやっているんだからほっといてくれ、というのが本音だと思いますので、これ以上言いませんが、私はかくのごとく思っています。
論理ベースの議論に付き合うな
話は横道にそれますが、よくインターネットの掲示板などで議論をふっかけてくる人がいます。掲示板に書かれたことについて「根拠を示せ」とか「説明しろ」みたいなことを言ったり、1対1の論戦を挑んでくる人です。論理ベースの議論はどの言い分も筋が通っているものです。しかし、すでに述べたように、筋が通っていても論理そのものが危ういものであり、かつ、互いの論理の出発点が異なっていますから、いくら議論を重ねても出口はありません。論理の連鎖をうまくつなげることができなくなった側がみかけ上の負けになるだけです。だからといって、論理をうまくつないだ側の言い分が正しいかというとそんなことはありません。通常、勝つための議論はこういう卑しく馬鹿げた構造の上で展開されます。だから、後味が悪いのです。本来、論理ベースの議論というのは真実を追究するための一方法として古くから知られています。しかし、それが機能するのはごく少数の賢人達だけであって、我々凡人が行う論理ベースの議論では、論者は意思的あるいは無意識的に隠されたゴールというものを持って議論に臨んでいます。議論をふっかけてくる相手は、最初から結論を決めて相手を論破することを目的としていますから、こんなのに付き合うのは全く人生の無駄です。結論を決めた相手とする議論くらい低劣で不快なものはありません。だから、私はそのような空気を感じると誰が何と言おうと相手にしません。しかし、こういう手合いを無視すると、外野は「逃げるのか、卑怯だぞ」とけしかけますし、相手もしきりと挑発して最終的には捨て台詞か勝手な勝利宣言をするようですが、それでも無視して相手にしないのが賢者の選択だと思っています。
テクニカルな落とし穴
そこで今一度、美的感受性は総合力、というテーマに戻って考えてみます。美的感受性は、技術力でも論理でもなく、それらを超えたところに存在します。そして、「何故、良い音と感じたのか」とか「何故、美しいと思ったのか」といった問いに対しては答えは必要ありません。「周波数特性が10Hzから100kHzまでフラットだから」とか「○○○○という球を使ったから」といったことで説明できるようなものではありません。あせってそこにテクニカルな理由を見つけようとすると、ちいさなテクニカルな落とし穴にはまります。「どうしたらもっと良い音になるでしょうか」、「出力管のロードラインや動作条件はこれでいいでしょうか」、「負荷インピーダンスを2.5kΩから3.5kΩに変えたら音はどうなるでしょうか」、「あなたはどこの何という線材使っていますか」、「このアンプの場合、スピーカーは別のに変えた方がいいでしょうか」・・・・等々。私はこういった質問には期待どおりに答えられたことがありません。1つめの質問い対しては「わかりません」と言いますし、2つめの質問に対しては「ちゃんと動作していると思いますよ」あるいは「それだと定格オーバーなので云々」という風に答えます。3つめに質問に対しては「2.5kΩでも3.5kΩでも変わるといえば変わるし、変わらないといえば変わらない」と答えます。4つめの質問に対しては「普通に売っている安いのです」と答え、最後の質問に対しては「自分で考えてください、私の知ったことではありません」と答えます。
じかにメールが来たのではなくて掲示板での書き込みであれば無視します。何故かと言うと、こういった質問には良い音を得るための最も重要なことが欠落しているからです。何だかわかりますよね。
その人がどんな音や姿や場面に美を感じるかさっぱりわからないからです。それ以前の問題として、私は人の美的感受性に口出しするほどお節介ではありません。一歩間違えたら、私の美的趣味の押し付けになります。私はそこまで図々しくはありません。だから、全段差動PPアンプにしても、どの部品を使えとか、この回路が最高だ、とかそういったことは決して言いません。もっとも、そのように断定的に言って欲しい人もいるらしいので、たまに断定的発言の誘惑に駆られますが、そんなことをしたら家族や友人に馬鹿にされるのは明白なのでやっぱりできません。
さて、
ここまでお読みになったあなたが、「何が言いたいかだいたいわかったぞ」とおっしゃっていただけるのであれば、とてもうれしく思います。しかし、「おいおい、いつになったらいい音を出すための話が出るんだい」と思っているあなたは、ここに書かれた文章を、目で追っただけで、心で読んでいませんね。そして、相変わらず「こうすればいい音が出る」という安直で、すぐにできる答え、あるいはお金を出せば買うことができる方法を求めていらっしゃいますね。どうですか。違いますか。
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