このホームページをオープンしてから1ヶ月が過ぎた。ある日、ホームページにアクセスしてくれた方から、リンクを張った旨のメールが来た。そして、その人のホームページにアクセスして、その人の思いに触れ、いろいろなことを思った。・・・・
我が家に白黒テレビがやってきたのは、1961年だった。私は小学校1年生だったはずである。その頃の私は、学校からの帰り道、道路わきの土を運動靴のつま先でざっざっざっと土ぼこりを立てながら歩くことを楽しみにしていた。足元にたちのぼる土ぼこりが、蒸気機関車の吐き出す蒸気のように思えたからである。
小学1年生の姿をした蒸気機関車は、毎日、ざっざっざっと土ぼこりを立てながら家路を急いでいた。つま先によって土のなかから掘り出された釘やらボルトやらが時折音をたててころがり出てくる。それを見つけると、私は、すぐに拾ってポケットに押し込んだ。
私の宝物の箱は釘とボルトとナットでいっぱいになった。釘はたくさんあったが、ボルトは珍しかった。ナットは特別希少価値があった。ある時、ボルトとナットがぴったり合って、くるくると回転してひとつになった。驚きであった。もう、釘など眼中になかった。
4年生の頃だったか、学研の科学を購読するようになった。学校に学研のおばさんがやってきて、ちいさなお茶の水博士達に夢のような実験器具を届けてくれた。そのころ、友人が、電池がなくても鳴るラジオというのがあって、かまぼこ板の上に部品が全部のるのだという、何とも不思議な話をしてくれた。
5年生の時、サンタクロースがエレキットをプレゼントしてくれた。突然のことで、それが何であるかしばらくわからなかった。しかし、やがてエレキットの魅力は、プラモデルのそれをはるかにしのぐものに変わっていった。2SB54、2SB56、バリコン、0.1μFのオイルコンデンサ、ソリッド抵抗、クリスタル・イヤホン。電池がなくても鳴るラジオが何であるかもわかった。
もう、その頃は、道端に蒸気機関車は走らなくなっていたが、道端が金鉱であることに変わりはなかった。捨てられた5球スーパーやテレビからは12AV6や30A5、そして12BH7が発掘できた。
いつの日か、高校生になった私はSEPP-OTLの半導体回路に熱中するようになっていた。目の前に現れるものすべてが、未来を約束していた。過去のことを考えている時間はなかった。
気がついたら、スーツを着て鞄を持ち、ポケットには名刺がはいっていた。自分で物を作って使う時代は終わったのだと信じるようになっていた。誰かが、誰かのために実用的で充分な製品を供給してくれている、という経済のしくみを素直に受け入れていた。
仕事でニューヨークに行ったとき、たまたま立ち寄った骨董屋のあるじが私が持っていたパーカー75を見て言った。昔、アメリカは素晴らしい万年筆を作る技術があった。しかし、今はもう同じものは作れなくなってしまった。その万年筆は大切にしなさい、と。
30歳を過ぎた時、ほんのわずか、心に油断のような、はりつめた緊張のほぐれた一瞬が訪れた。
真空管がこの世から、いよいよ姿を消しはじめた頃、私の日課は、深夜まで真空管マニュアルを何度も何度も読みかえすこと変わっていた。その本に書かれている内容を頭に叩きこむまでは、真空管に触れるまいと決めて、受験勉強でもするように本に線を引き、ノートをとった。真空管との二十年ぶりの再会には、心の準備が必要だと思った。
Sylvaniaの6B4Gの箱を開けた時、手がふるえた。Intelのマイクロプロセッサよりも、カードモデムよりも、すべてがリモコンで操作できる我が家の電子機器よりも、それは美しかった。
美しいものは、ほかにもたくさんあることに気がついた。
蛇腹がぼろぼろに破れ、フィルムの巻き上げがこわれ、シャッターが動かなくなったパールIII型カメラを、父は、分解し、やすりで削って部品を作り、動くようにした。さらに、そのカメラを小西六に持ち込んだ。そのカメラの蛇腹は、年配の技術の方の手によって再び元の光沢を取り戻し、今、私の手のなかにある。 自分でフィルムの現像ができなければ、このカメラを使う資格はないと思った。D76を買い、今も、ダークバッグでの練習が続いている。
毎年、夏が終わるとわが妻はレーズンやマスカットをラム酒やらブランデーに漬けはじめる。オレンジの皮をむいて煮て、漬ける。12月にはいると、1週間の間、我が家のオーブンは毎日2個ずつ、あるいは4個ずつ、クグロフ型のダーク・フルーツ・ケーキを焼くために大忙しになる。焼きあがったケーキは、1週間の間毎日ブランデーが塗り続けられる。やがて、フロスト・シュガーがふられ、リボンがかけられ、ギフト・カードがそえられ、親しい方々の許へと送り届けられる。そして、この季節、この時間を最も楽しみにしているのは、彼女の夫と娘である。
美しいと感じる何かに情熱を注ぎ、物ではなく、その行為そのものを次の世代に伝えることができたら、私がこの世に生きた意味を見出せそうな気がする。そして、美しいものが何であるかは、子供の頃の自分がもっともよく知っているのではないだろうか。
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私は人生そのものを楽しむ。
私にとっての人生は、短いロウソクのようなものではない。
むしろ、私がほんの一瞬の間だけ持つことを許された大きな 'たいまつ' であり、
私はその火をできる限り明るく燃やし続けて、
次の世代に手渡すのである。ジョージ・バーナード・ショウのことばより抜粋
考えることのきっかけを下さった
http://www.kulawanka.or.jp/~kitagawa/watch/watch04.html
に感謝