私の生き方

きむらてつ


「矜持(きょうじ)」という言葉があります。意味を調べてみると、自信、自負、誇り、プライドという説明が見つかりますが、これだけでは「矜持」という言葉の意味は正しく伝わりません。矜持には、「自分をコントロールする」、「自分を抑える」、「自分を抑制してつつしむ」という重要な意味も含んでいるからです。

もうすこし言葉を補うと「周囲に流されないで自分をコントロールする」、「欲望に流されないで自分を抑制してつつしむ」となり、これでだいぶ矜持の意味が伝わりやすくなりました。そういうニュアンスを持った自信であり誇りやプライドです。

私自身がどこまでそうなれたかは少々疑問ですが、そうありたいと思う気持ちは持ち続けてきました。しかし、私たちの社会生活やビジネスでは目先の効率や生産性や利益が最も重要視されてそこに価値が置かれます。このような価値観の社会では、法を冒すほどではないにしても、人の道からは外れるようなことが普通に起こります。たとえば、スーパーで売られているバターやお菓子などは、金額は変わっていないのにいつのまにか内容量が250gから225gに減っています。バレにくいようにして消費者を騙すわけです。もしあなたが個人商店の店主や零細企業の社長だったら、自分が作っている商品でこのようなことをやりますか?あなたのプライド(=矜持)が許さないでしょう?ところが、大企業の社員は平気でそれをやり、会社も立派に企業倫理を守っていると公言します。このことに疑問を感じた一社員が、企業組織の中で自分のプライドに従って行動しようとすると、周囲から浮いて居心地が悪くなり、評価は下がって出世が遅れます。

人は一人でいる時は行儀がいいのに、集団になった途端に行儀が悪くなります。「周囲に流される」のですね。では一人なら常に良い意味でのプライドを持つことができるのかというと、残念ながらそうではない人も少なくないという現実があります。人の価値観(=何を大切だと思って生きるか)はさまざまです。一見紳士的に振舞っていても陰でずるいことをしている人はたくさんいます。一対一で相手が見えている時はそれなりに遠慮ができる人でも、不特定多数に対しては早い者勝ちとか買い占めといった行動が躊躇なくできてしまう。人目を気にするくせに根底には自己中心主義が隠れています。

矜持なき人は、矜持ある人の行動を理解できないだけでなく、不愉快で腹立たしく感じる。

どうもそういうことらしいです。真に矜持があって、周囲に流されないで行動できる人は少数派です。多くの人は、心の中ではよくないことだと思っていても、周囲の空気に逆らうことで仲間内での居心地や社会的地位や収入の危険を感じると、率先して忖度(そんたく)行動をして暗黙の圧力に屈します。いじめを黙認したり加担してしまうのも同じですね。心の中でどう思っていても、行動ができなかったら矜持を正す人とは言いません。ですから、矜持を持った生き方を貫こうとすると、世渡りで苦労して出世が遅れたり、周囲から妨害されたり、目先の利益を逃します。周囲にいる流される人や矜持を欠いた人を敵にまわすわけですし、それが自分が住むコミュニティや同僚や上司や権力だったりするわけですから。

先の大戦前夜、叔父がいた青山学院は、関東大震災の風聞で世間から追われた朝鮮人たちをかくまい住居まで与えました。叔父は戦争への突入を否定してはばからなかったため、実家は常に特高警察に監視されていたそうです。当時、世間は生徒や学生に対して戦争奉仕を要求し、多くの学校が授業をやめて生徒や学生たちを工場や戦場に駆り出しました。しかし、母がいた恵泉女学園は頑として受け付けず授業を続けました。どちらも世間の空気に逆らった判断でしたから風当たりは厳しかっただろうと思います。どんな時代も、周囲に流されないで行動できる人は少数派です。しかし、学校のそんなあり方は人を育てます。

私のこのような生き方に最も影響を与えたのは私の両親に違いないのですが、気骨の牧師であり日本で最初のホスピスを作った叔父の影響も大きかったと思います。1960年代、ベトナム戦争の脱走米兵が日本中を逃げ回った事件がありましたが、じつは叔父の家の二階に匿われていたのでした。それを察知した公安警察がやってきましたが、叔父は静かな気迫で応対し警察は手が出せなかったそうです。「哲ちゃん、六十になったら自分のことではなく人のために自分を使いなさい」と言われてまだ果たせていません。

私に生き方に決定的な影響を与えたのは、関西学院での中学生生活でした。図書という授業の科目が設置されて間もない頃で、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を教科書として多くのことを学びました。当時担任だった船本先生(のちの東京女子大学長、東洋英和学長)からいただいた「光の子らしく歩きなさい」という言葉は今も大切に持っています。聖書に出てくる言葉ですが、その意味するところは15歳の私にも「自信と誠実さをもって人の道をまっすぐに歩きなさい」だとわかりました。仏教には「無明」という言葉がありますが、同じことを言わんとしているように思います。やがて、このことを最もよく言い表している言葉が「矜持」だと気づいたのでした。

「矜持」には、人が人らしく生きるために欠かせないさらに深い意味があります。

それは「確たる自信を持って、相手によって引け目を感じたり、逆に相手によって尊大にならない」ということです。「相手に媚びない、相手を見下さない、どんな相手に対してもプライドとリスペクトを持って対等に接する」と言えばわかりやすいでしょうか。

相手に媚びるのも、相手を見下すのも、その根底には自信のなさやプライドの欠如を隠そうとする意識が働いているからです。プライドがない人ほど地位や権力を欲しがって自分を大きく見せようとします。上から目線な態度を取ろうとします。お店でクレームをつける男性の「責任者を出せ、女じゃダメだ、男を出せ」という見苦しい態度を時々目にします。出入りの業者を怒鳴りつける大企業の若い社員をたくさん見てきました。ネットの世界では、人よりもより知っていること、人の知識のわずかな誤りをあげつらうことで優位に立とうとする光景に溢れていますが、その根底には自信のなさやプライドの欠如がよく見えます。自信やプライドがない人は相手に対するリスペクトがありません。

真のプライドがある人、すなわち矜持がある人は、どんな相手に対してもひとりの人としてリスペクトを持って対等に接することができます。弱者に対しては膝をついて目線を合わせて話しかけますし、相手がどんな地位や有名人であっても動じることなく普通に会話ができます。そういう人の姿を見たかったら、天皇皇后両陛下の災害慰問の様子を思い出してください。県の職員が立ったまま被災者を見下ろしている中、あれほどの立場の方がスリッパもはかず膝を床につけて深いリスペクトを持って人々と対等に接しています。私は娘の結婚式での美しい光景を忘れることができません。彼女はウェディングドレスを折って膝を床につけて小さな子供と目線を同じくして語りかけていました。ああ、この子は自然にこういうことができている。

しかし、こういう接し方を社会や職場で貫こうとするとやはり周囲とうまくやれません。相手があなたを目下だと思って見下している時、相手はあなたに対して媚びた態度を期待しています。それなのにあなたが対等に接しようとすると、相手は腹を立ててあなたを嫌うでしょう。

もうすこし書かせてください。
私が大切にしてきたもうひとつのこと、それは相手や自分以外の人の気持ちを思うということです。

自分がこういう行動をしたら、それは相手の立場からみてどうなのだろう、相手はどう感じるだろう、と思いやる態度を大切にしたいと思っています。しかし、自分を中心に置いてしまうと相手が見えなくなります。自己中な人は意図的に相手が見えなくなった自分を作れるのだそうですが、そんな技術は唾棄すべきものだと思います。

「それくらい知っているだろう」「そんなことも知らないの」という態度は、自分を基準にしてものごとを見てしまっているからです。自分ができることは相手もできると思って一方的に接してしまう。相手が聞きたいことではなく自分が言いたいことを語ってしまう、自分にとっての当たり前が相手にとっては当たり前でないことに気づかない。善意でよかれと思ってしている行動が、ひとりよがりであったり、相手にとって小さな迷惑、大きな迷惑であることが意外に多いのです。

私が!私が!にならずに、相手の気持ちを考えてそれを行動に生かすのはとても難しく深い洞察力と強い自己コントロールの技術がいります。私が、傾聴という高度なコミュニケーション技術を通じてこのことに気づいたのはかなり歳をとってからでした。ところが、私の周囲にはごく自然に相手の気持ちを思い遣ることができる人がたくさんいます。私はまだまだ修行が足りません。

インターネットを通じて広く多くの方と接触するにつれて、私のような生き方とは相いれない価値観の人々が多いことを知って葛藤の日々を過ごすことにもなりました。私が何度も掲示板を閉じようとしたことに気づいた方も多いと思います。私だったら決して書かないような言葉が私の掲示板に書き込まれることも多くありました。私の言葉は相手に通じることはなく、捨て台詞を浴びることもすくなからずありました。他の掲示板で私を嫌う人が見苦しい書き込みをしているいることも良く知っています。インターネットを通じて自分の考え方を表現するのはとても危険なことだと気づいたのは、HomePageを開いてからだいぶ経ってからのことです。

私はこういう生き方をしてきたので、人生でかなりの回り道をしましたし、損をすることも多く、敵も作りました。しかし、自分が大切だと思ってきたことを守り、自分に正直に生きてきたことにとても満足しています。期待した以上に多くの方々が共感してくださったことに感謝し喜びを感じています。そして、私にとってなによりの幸福は、同じ考え方を持ったひとと家族になれたこと、娘が私たちの生き方を学び引き継いでくれたことです。

2019年8月27日



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