オーディオテクノロジーへの提言
「全段差動プッシュプル・アンプって何?」


「全段差動プッシュプル・アンプ」、あまり聞き慣れない名前だと思います。真空管アンプの回路技術は、何十年も前に、そのネタは出尽くしたかに見えました。ところが、現在でも、真空管というすぐれた増幅素子を生かして、より良い音のアンプを実現しようとして、さまざまな研究が行われています。残念なことに、オーディオ産業そのものが衰退し、企業にとって儲からない事業分野になってしまった今、このような努力は、大企業レベルではなく、ガレージビルダーや一部のオーディオ好きな人達の間でしか行われていないということもまた事実です。そんななかにあって、従来型のプッシュプル・アンプの問題点を解決するひとつの回路手法として、全段差動プッシュプル・アンプが登場しました。

差動プッシュプル回路(あるいは差動回路)自体は決して真新しいものではありませんが、出力段にまでこの方式が採用されたメーカー製品は、私の知る限りこれまでありません。何故なら、差動プッシュプル回路は宿命的にA級動作しかあり得ないため、プッシュプル回路特有のメリットである大出力が得られないからです。また、真空管アンプ愛好家の多くにみられる保守的で古典的な回路崇拝や復古的部品愛好趣味が色濃く存在するため、真空管アンプにおいては差動回路のようなもっぱら半導体回路で多用されている回路方式の採用など思いもよらない、という事情も少なからずあるかと思います。真空管オーディオは、技術の世界から復古とブランド信仰と宗教の世界に変わってしまった感があります。

「全段差動プッシュプル・アンプ」は、ビンテージアンプ崇拝に対する現代真空管回路技術の挑戦です。頂点をきわめたかに見える既存真空管アンプ群が居座るハイエンド・オーディオに対する挑戦でもあります。



■プッシュプル回路の問題点

世間には妙な考えがあります。初心者はシングル・アンプ、ベテランはプッシュプル・アンプ、という考えです。そういうことをはっきりと書いた書籍ならいくらでもあります。プッシュプル・アンプは、シングル・アンプが抱えているさまざまな欠点を解決した高級な回路だと思われているからです。プッシュプル・アンプでは、出力管の数はシングルの2倍いりますし、得られる出力もシングルの2倍以上ですから、球の数が多い=高級、回路が複雑=高級、高コスト=高級、大出力=高級、という図式にぴったりです。

では、プッシュプル回路というのは、ほんとうに高級なのでしょうか。ほんとうに、高性能なのでしょうか。あらゆる点で、プッシュプル回路はシングル回路を凌駕できているといえるのでしょうか。確かに、得られる最大出力はプッシュプル回路の方が圧倒的に大きく、歪み率もプッシュプル回路の方がはるかに低く、周波数特性・・・特に低域特性・・・はプッシュプル回路が断然優れています。この3点についていえば、シングル・アンプは全くのところ不利であるといわざるをえません。

しかし、現実をみると、必ずしもプッシュプル・アンプの音が高い評価を得ているとは言い切れません。シングル・アンプから自作をはじめて、やがてプッシュプル・アンプを作るようになった人が、今はまたシングル・アンプに落ち着いている、という話はいくらでもあるのです。プッシュプル・アンプの音に対する不満も少なくありません。プッシュプル・アンプの音が気に入らないために、シングル・アンプの欠点を承知で愛用している人はたくさんいらっしゃいます。

つまり、プッシュプル・アンプ(プッシュプル回路)は、まだまだ、解決しなければならない問題を抱えているということなのです。それは、一見、シングル回路よりも優れているように思われているプッシュプル回路というものが、実は、多くの矛盾と妥協を抱え込んでいるのだということが見過ごされているからだと思います。真空管アンプにおけるプッシュプル回路は、決して優れたものではなく、むしろ中途半端なまま成熟してしまったがために、いまだに問題だらけである、というのが私の考えです。

この<オーディオテクノロジーへの提言>のページでは、従来型のプッシュプル回路の問題点を明らかにし、その問題のいくつかを解決しようとした全段差動プッシュプル回路とは一体どういうものなのか、そして、全段差動回路を生かすにはどのような工夫やヴァリエーションが考えられるのか、説明してゆきたいと思います。


■差動回路

全段差動プッシュプル・アンプを理解するためには、差動回路について基本的な知識が必要です。

さて、ここに増幅素子が2つあって、その増幅素子のカソード(FETの場合はソース、トランジスタの場合はエミッタ)が互いに接続され、その共通のカソード回路に流れる電流が(ほぼ)一定となるような動作をする増幅回路のことを、差動増幅回路といいます。(右図)

差動増幅回路では、共通カソード側に定電流特性を持った回路が存在するため、2つの増幅素子(右図では電圧増幅管12AU7)に流れるプレート電流の合計は常に一定の値になります。信号が入力されて、増幅作用を行っている場合でも、2つの増幅素子に流れるプレート電流の合計だけは常に一定であるということに変わりはありません。

ということは、もし、一方の球のグリッドに信号が入力されて、プレート電流が増加するような動作をした場合は、もう一方の球のプレート電流はぴったり同じだけ減少し、互いにシーソーのような動作をすることになります。なぜこのような動作になるかというと、共通カソード側に「定電流回路(※)」が挿入されているからです。

定電流回路とは:その両端にかかる電圧の大小にかかわらず、つねに一定の電流が流れる回路のことです。
そのため、もし、2つある12AU7のグリッドに一方だけに信号を入力した場合、信号が入力された側の12AU7のプレート電流が、入力された信号に応じて変化すると、信号が入力されていないもう一方の12AU7のプレート電流まで変化させられてしまいます。つまり、2つの12AU7のプレート側の両方から増幅された同じ信号が出力されてしまうのです。但し、2管は互いにシーソーのような動作をするために、その出力信号の位相は反対になります。このように、差動回路を構成する2つの増幅素子は、相互に緊密に影響し合い、それぞれが勝手な動作をすることができません。

2つの増幅素子の動作はいわゆるプッシュプルと同じような動作をするわけですが、「プッシュ」と「プル」の量がぴったり一致するため、非常に正確なプッシュプル動作を営みます。そこで、差動でない普通のプッシュプル回路と比較してみることにします。

右図の回路は、おなじみのごく普通のプッシュプル回路です。この回路ではカソード側には定電流回路は存在せず、アースされています。このように、普通のプッシュプル回路では、増幅管のカソードは、固定バイアス方式ではじかにアースされ、カソードバイアス方式でもコンデンサを通じて交流的にアースされます。そのため、2つの増幅素子は、互いに干渉されたり縛られたりすることなく、それぞれが自由な動作をすることができます。

もし、2つある12AU7のグリッドの一方だけに信号を入力した場合、信号が入力された側の12AU7のプレート電流は変化し、その結果、プレート側からは増幅された信号が出力されますが、もう一方の信号が入力されなかった12AU7のプレート電流は全く変化しませんし、プレート側からは何も信号が出てきません。2つの12AU7をプッシュプルらしく対称動作をさせたかったら、2つのグリッドに正確に同じ電圧で位相が反対の信号を入れてやらねばなりません。それでも、2つの増幅素子の特性にばらつきが存在すると、プッシュプル動作の対称性は失われます。

差動プッシュプル回路と普通のプッシュプル回路の違いを二人三脚にたとえていうならば、前者は2人の脚をしっかり紐で結んだ二人三脚、後者は脚を紐で縛らないで二人三脚みたいに歩調を合わせているだけ、ということができます。


■信号ループ

この2つのプッシュプル回路の違いについて、もうすこし立ち入って検証してみたいと思います。

右図1aは、おなじみのごく普通のプッシュプル回路です。向かって左側の12AU7に信号が入力され、その入力信号の変化がプレート電流の変化となって負荷抵抗RLを流れるループが生じます。このループは、

(a)〜"RL"〜(b)〜(c)〜"C"〜(d)〜(e)
で一周します(図1b)。もう一方の12AU7の信号ループは、
(x)〜"RL"〜(b)〜(c)〜"C"〜(d)〜(y)
で一周します(図1b)。"C"の容量が充分に大きければ、この2つのループは互いに独立していることになり、互いに影響を及ぼし合うことはありません。ですから、この2つの12AU7にそれぞれ全く異なる信号・・・右側にはベートーヴェン、左側にはクレモンティーヌ・・・を入力しても、それぞれが勝手に増幅作用を営みます。また、かりに右側の12AU7を撤去してしまっても、左側の12AU7はちゃんと動作し続けます。

2つの入力信号は、それぞれの「グリッドとアースの間」に印加されます。また、それぞれの信号ループには「アースラインや電源のコンデンサ(C)が介在」します。これが、みなさんおなじみの普通のプッシュプル回路の動作のメカニズムなのです。

さて今度は、右の図2aです。さきの図1aと違う点は、2つのカソードの合流点(e)とアース(右の回路ではマイナス電源)の間に「定電流回路」なるものが割り込んでいることです。

「定電流回路」は、常に決められた一定の電流が流れようとする性質がありますので、左側の12AU7に入力信号がはいったことによってプレート電流が変化したとしても、定電流回路はその変化を受け付けません。

もし、左側の12AU7のプレート電流が1mA増えるならば、右側の12AU7のプレート電流が1mA減ればつじつまが合います。実際、このような回路では、2つの12AU7の間でプレート電流の増減がシーソーのように生じます。

このような動作をする場合の電流変化のループは、

(a)〜"RL"〜(b)〜"RL"〜(c)〜(d)〜(e)〜(f)
で一周します(図2b)。さらに書きかえて図2cのようにするとよりわかりやすくなります。直列に結合された2つの12AU7によって、直列に結合された負荷(2RL)が駆動されるループです。

入力信号は、「2つのグリッドにまたがって」印加されるため、「アースとは無関係」になります。また、信号ループはアースラインとはかかわりがなくなり、「電源のコンデンサ(C)からも無関係」になります。これが差動プッシュプル回路の動作のメカニズムです。いわゆるプッシュプル回路と根本的に異なる動作原理、異なる信号の流れであることがおわかりいただけたと思います。


■出力段を差動にする

これまでの説明は抵抗負荷の電圧増幅回路を使いました。では、トランス負荷の電力増幅回路(メインアンプの出力段)ではどうなるのでしょうか。電圧増幅回路と同じように考えてもよいのでしょうか。

右図は、2A3のEp-Ip特性です。2A3の代表的なプッシュプル動作としては、プレート電圧300V、無信号時の1本あたりのプレート電流40mA、その時のバイアスは-60VとしたAB級プッシュプルがあります。この動作条件のまま、共通カソード側に定電流回路を挿入して差動にしてみたらどうなるでしょうか。

プレート電圧300V、プレート電流40mAの動作ポイントをB点とします。グリッドに信号がはいると、動作ポイントは「B点」を起点として「A点〜B点〜C点」の範囲で移動します。A点、C点を越えない範囲では、2A3はカットオフしませんから、プッシュプルとなった2管は互いに補い合う動作をします。

しかし、C点を越えてより深いバイアスの領域に達するとその球はカットオフしてしまい、これ以上にバイアスを深くしてもプレート電流はずっと0mAのままです。差動プッシュプルでは、2球のプレート電流の合計値が常に一定(この場合は80mA)という制約を受けますから、一方の球のプレート電流がゼロのままならばもう一方の球のプレート電流は80mAで一定になってしまいます。この様子をロードラインに描くと、上の図のようにA点とC点の外側ではロードラインは水平になるのです。

しかし、差動ではない一般的なプッシュプル回路では、一方の球がカットオフしても、もう一方の球のプレート電流はそういうこととは無関係に流れることができ、A点を越えてさらに大きな電流が流れます(灰色)。この現象は、A級でもAB級でも生じます。

差動では、いかなる時も、プッシュプルの2管のプレート電流はシーソーのように増減を行いますので、一方の球のプレート電流が(ゼロになったまま)変化しないのに、もう一方の球のプレート電流が変化するということは許されません。この動作条件では、出力管の能力を充分に生かしきることができません。

差動プッシュプルでは、動作起点を中心にして、プラスの半サイクルとマイナスの半サイクルが等距離となるようなロードラインとなる場合が最も効率良く出力を取り出すことができるのです。その様子を表しているのが右図です。

動作の起点は、B点です。プレート電流値が最大になるA点と、ゼロになるC点とはB点からそれぞれ等距離にあり、しかも、Ep-Ip特性曲線上の動作範囲をフルに使い切るような設定が最適であることになります。

従って、差動プッシュプルでは、無信号時のプレート電流値を少なく設定して、一方の球がカットオフしてももう一方の球により多くのプレート電流が流れてこれを補う動作をするAB級動作は理論的に存在せず、いかなる場合もシーソーが保たれるA級になります。

木村 哲
2001.10.17(作成)


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