真空管電圧増幅回路のバイアスと初速度電流


本稿のオリジナルは「無線と実験」1995年5月号のサイドワインダーに掲載されました。ここでは、掲載されたものをもうすこし内容を掘り下げて書き直しています。

真空管の良いところは、回路定数の設定がいいかげんであっても結構ちゃんと増幅作用を営んでくれるところにあります。プレート電圧が少々低かろうが、グリッド・バイアスが1〜2V深かろうが、そう簡単には悲劇的結末にはなりにくいいいかげんさが、我々アンプ作りの素人の存在を可能ならしめております。

長い間真空管と付き合っているうちに、「音が出たことの喜び」が「より良い音が得られた喜び」に変化し、それがいつの間にか「真空管の欠点を知り、それを克服することの喜び」に変化してくることもまた真実です。今更にして、いにしえの時代の遺物ともいうべき真空管にうつつを抜かし、家人にばれないように秋葉原通いをすることの何と楽しいことでしょうか。

初速度電流

まことにお恥ずかしい話ですが、私が真空管のコントロール・グリッドの初速度電流の存在を知ったのは、はじめて半田鏝を握ってから10年も経ってからのことでした。それまでの長きにわたって、グリッド・バイアスの浅い深いにかかわらずEg≦0である限りコントロール・グリッドに電流が流れることなど「ない」と固く信じていたのでした。(よくもそんなことでゼロバイアスを使った5球スーパーなどを作っていたものである!)

それでも無事コトが済んで来たというのは、手頃なバイアス電圧さえ与えておけば十分実用的な動作をしてくれるという真空管の偉大さのおかげと言うべきでしょうか。

初速度電流の存在を知った後も、バイアス電圧が-0.7Vよりも深ければ初速度電流は無視できるということを知って、単純にそのことを信じてそれ以上深く考えもせずに今日に至ったのでした。

バイアス電圧と歪率の関係

ある日、メインアンプの設計を目論み、初段管の動作条件を決めようとして右図のような実験回路を作った時のことです。

バイアス電圧を0Vからマイナス数Vまで連続的に変化させてゆくと、歪率計の針が上がったり下がったり不思議な動きをしたことが本実験のきっかけとなりました。

実験の設定は以下のとおりです。

  1. B+供給電圧は220V(ほぼ一定)。
  2. バイアス電圧は、0Vから-nVまで連続的に変化させる。
  3. 出力に一定(1V、10V、30V)の電圧が現れるように入力電圧を調整する。
  4. 歪み率を連続的に測定する。
  5. 実験回路構成は以下のとおり。
  6. 手元にあった12AX7T(松下)、6FQ7(日立)、5687(NEC)、6DJ8(東芝)の4本を測定。

歪率計は手製のものを使用しました。OSCは歪率測定用の低歪率タイプではないため(LEADER製オーディオジェネレータLAG-120Bを流用)歪み率測定限界は0.04%程度となっています。それでも、真空管回路の歪率測定にはこの程度の性能で十分実用になります。

実験回路のグリッドリーク値が1kΩと低いのには理由があります。初速度電流はグリッド・バイアスをマイナスに充電する方向に流れますが、グリッドリークに高抵抗を使用すると抵抗で生じる電圧降下が無視できなくなって、浅いバイアスでの測定に支障をきたすからです。参考までに、実験で使用した球(12AX7, 6FQ7, 6DJ8, 5687)のグリッド電流値を測定してみたのが下のグラフです。

一般に、初速度電流はグリッド・バイアスが0.3V浅くなるごとに10倍増加する、といわれていますが全くそのとおりの結果が出ました。ただし、同一管種であっても電流値のバラツキが激しく、このデータをみて6FQ7の電流値が他の管種よりも多いなどとは決していえません。

さて、今回目的とした測定結果は以下のとおりです。グラフの見方ですが、横軸にバイアス電圧をとり、出力電圧を一定になるようにしてバイアス電圧を連続的に変化させた場合の歪み率の変化様子がわかるようにしています。

12AX7 5687

6DJ8 6FQ7

歪み率のこういった激しい変化は、メーカー発表のEb-Ib静特性曲線からは読み取ることはできません。

奇妙な現象

6FQ7について、結果を解析してみることにします。一般に、3極管では、バイアスが深くなる程Eb-Ib静特性曲線の間隔が詰まってくる、すなわち等間隔でないために2次歪が発生するはずです。

実験結果のようにバイアス電圧の浅い深いによって歪み率が増減するということは、間隔の詰まり方にバラツキがあることになります。深いバイアスから浅いバイアスに向かって、歪み率が減少してくる(Eb-Ib静特性曲線が等間隔になる状態に近ずいてくる)のは当然として、初速度電流の影響を目前にして-1.0V〜-2.5Vあたりで逆に増加するというのは意外でした。間隔の詰まり方が一定であれば、きれいな2次歪みが得られますが、一定に詰まってないとなるとちょっとこれは問題です。また、-1.0Vをこえて更に浅くしてゆくと今度は歪み率がストンと落ちるポイントが現われます。

そこで、バイアス電圧によって利得がどう変化するかを測定してみました。グラフで見ると、-0.2Vから-0.6Vに向かっては利得が上昇(右上がり)し、バイアスが-0.6Vよりも深くなるとこんどは利得が減少(右下がり)してゆくように見えます。そこで、利得の変化をバイアス電圧で微分してみることにします。やり方ですが、0.2Vきざみの各バイアス電圧の前後(プラス・マイナス)0.2Vの2点間の差をとってこれをグラフ化します。

利得 微分

微分値が0以下ということは利得曲線が右上がりであることを意味し、微分値が0以上ということは利得曲線は右下がりで、しかも微分値が大きいほど右下がりの角度が急であることを意味します。また、微分値がゼロということは、バイアス電圧を変化させても利得が変化しない、すなわち、Eb-Ib静特性曲線の間隔が一定で歪みが発生しないことを意味します。

微分値がゼロのポイントは-0.6Vですが、このポイントは前述の「歪み率がストンと落ちるポイント」と一致します。当然といえば当然ですが。

この結果からわかることは、目で見てなんとなく右下がりに見える利得の変化のグラフも、実際は「S字カーブ」を描いているのだということで、3極管といえども素直な2次歪みだけというようなことではないのだということです。できるだけ素直な2次歪みが欲しい時は、初速度電流の影響を回避するだけではなく、バイアスをもうすこし深くすべきだということがわかりました。3極管の直線性も、巷で理解されているよりも結構複雑です。

最適ポイント

さて、電圧増幅回路を設計する場合、バイアス電圧をどのように選んだものでしょうか。さきに述べたように、一般論としては、出力電圧の最大値(実効値)をEo、利得をAとおくと、

バイアス≦-(0.7+2・Eo/A)

でよいということになります。この計算値をそのまま今回の実験のケースに適用すると、6FQ7の回路利得A=16であるとして以下のようになります。(無線と実験での記事は正確ではありません、ごめんなさい。)

  1. 出力電圧1Vの時 -0.79V
  2. 出力電圧10Vの時 -1.58V
  3. 出力電圧30Vの時 -3.35V
この数字を実験結果にあてはめると、いずれの場合もグラフの曲線の肩の部分とよく一致します。先人の教訓や偉大なりです。バイアスをこのポイントよりも浅くすると、たちまち初速度電流の餌食になるというポイントというべきでしょう。 歪み率の最も低くなる最良のポイントは、更にもう少し深い所に存在することもわかりました。

回路構成上、意図的に2次歪を発生させたい場合には、バイアス電圧を無理により深い領域に設定することにより、歪み率を1.2〜2.5倍程度までならば何とか増加させることができそうであることもわかります。しかし、直線性を損なわない範囲でそれ以上大きな2次歪を発生させるのは無理です。

ご注意いただきたいのは、歪み率の打ち消しポイント(6FQ7で出力電圧1.0Vの時は-0.6V)は全くあてにならないということです。初速度電流値は大変クリティカルで、以下にあげるさまざまな要因によって変化し、決して一定ではなく、また計算で求められるようなものでもないからです。

また、歪みの出方も の影響を受けるため、歪みの打ち消しポイントはころころと変化します。従って、この打ち消しポイントを利用しようなどという目論みは諦めた方が賢明というべきです。

最も歪みが小さくなる動作ポイントは、前述の

バイアス≦-(0.7+2・Eo/A)

よりももう少しバイアスが深いところにあります。6GQ7の場合、小信号レベルで使用する時は-1.5V〜-3.0Vあたりが適当です。信号レベルが大きくなるにつれてポイントは深くなってゆきます。出力電圧が30Vの場合のポイントはグラフ上からはわかりにくいのですが-2.0Vあたりのディップではないことは明らかで、-3.0Vかそれより少し深いところになります。

最後に

シングル・アンプでは、ドライバ段で2次歪を発生させて、出力段で発生する2次歪を打ち消そうというテクニックがあります。その場合、ドライバ段のバイアスを故意に深くして歪みを大きく発生させる手法が多くみられますが、バイアスをあまり深くするとドライバ段の最大出力電圧がとれなくなって、出力管を十分ドライブしきれなくなり、ずいぶん苦労させられます。

6FQ7や12AX7では、バイアスをどんどん深くしてゆくと、歪み率もじわじわと増加してゆきます。一方、5687や6DJ8ではバイアスを深くして行っても歪み率はほとんど変化しません。管種によってはバイアスを深くして2次歪みをコントロールすることにほとんど意味がないことがわかります。

本実験は、電圧増幅回路を設計するにあたってのさまざまなヒントが得られ、なかなか有意義でした。本ホームページの「6G-A4 etc.汎用シングル・アンプその2」では、本実験の結果をふまえて実用レベルの証明を行ないましたので、是非みてください。


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