How to Live, How to Behave No.5

質素の価値・継続への尊敬


青山学院高等部追分寮

ご案内の運転手役として、60年前に女学生だった2人をお連れして追分に行って来た。

今はしなの鉄道になった旧追分停車場は無人駅となり、駅前には相変わらず何もなかった。当時の女学生達は、食料を積めたリュックを背負い、約30分かけて作られて間もない追分寮まで汗だくになって歩いたという。当時のこのあたり一帯は原野で追分原と呼ばれていたが、今は雑木林になってしまっている。

青山学院高等部の事務の方がFAXしてくださった案内図を頼りに、R18から浅間サンラインにはいり、高等部の案内板を右折、狭い道をはいってゆくと、やがて追分寮の案内があった。今はどんな建物になっているのだろう、と思っていたら、60年以上も前に立てられた木造の質素な寮が今でも当時のまま建っていた。寮の管理の方は突然の訪問者に驚く風もなく、寮を開けてくださり、案内してくださった。

門も当時のまま(とはいっても当時は女学校だったから銘板はつけかえられた跡がある)、椅子もテーブルも当時のまま、宿泊室も廊下も、すべて当時のままメンテナンスされ、磨かれて使われていた。戦争の足音が近づいた頃のことであり、建設された当時も決して贅沢な材料を使うことはできなかったであろうと思われる。今、ここにこのように存在するというだけで、訪れる人に感銘を与える建物である。それは、多くのひとびとの手によって今日まで大切に使い続けられてきたことへの尊敬である。

女学生に戻った老婦人達は、私はこの部屋に泊まったのよ、ここから浅間山が見えたわ(今は林になっていて見えない)、井戸が壊れてしまって近所のお寺まで水を汲みに行ったわね、などとはしゃいでいる。やがて、厨房の方でコーヒーの立つ音と香りがしはじめた。ほとんど手作りといっていい質素なテーブルや椅子が今も使われている食堂兼集会室で、なつかしい話題でいっぱいのコーヒータイムになった。

ドライバー兼案内係として同行した私は門外漢なわけであるが、今日は、ほんとうに良い物を見せてもらったと思う。紅葉の始まった快晴の追分は、じつにすがすがしかった。

2001.10.13


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